タイでの経験と外国語で話すことの話 Thailand 2015.8.28-2015.9.18

 最近、中田英寿YouTubeチャンネルを観ている。中田はイタリアで7年間、イングランドで1年間プレーしていた。日本人で海外、特にヨーロッパに挑戦するという意味で、以前から自分に通じるものを感じていた。

 

彼がYoutubeでイタリアでの日々について語った動画で、イタリア語を話すことについて話していた。中田はイタリア語がペラペラで英語にも堪能だ。

 

「言語は重要。どんなに上手い選手でも、イタリア語が話せなかったら、チームの一員にはなれない。イタリアでプレーしていた選手で、イタリア語を話せない選手を観たことがない。」

 

中田はイタリアに住み、周りの人と話す中で、イタリア語を習得していったらしい。

 

 

僕は、中田の言葉を聞いた時、今まで自分の中にあったモヤモヤした考えを形にして、切り出せたような気がした。

 

僕も外国に行く場合、言葉は重要だと思う。よっぽど、突出した才能がない限り、現地の言葉か最低でも英語でコミュニケーションできないと、認められることはほとんどない。

 

 

 

1年生の時、大学の研修でタイに行った。大学入学以来、初めての海外渡航で、僕は肩に力が入りまくっていた。

 

タイはバンコクを中心に経済が回っている。バンコクは東京とそんなに変わらないくらい発展しているし、簡単な英語が話せれば、コミュニケーションに苦労することはほとんどない。

 

ところがタイ第2の都市のチェンマイでは、状況が全く違った。「海外といえば英語でしょ!」と思って、バンコクである程度英語が通じて、たかをくくっていた僕は、その天狗になった鼻をくじかれた。

 

チェンマイでは現地の大学の日本語を学ぶタイ人学生たちにサポートしてもらうことになっていた。僕は外国人はみんな英語を話すんだと思って、なめてかかっていた。彼らは日本語を学び始めたばかりで、英語でも日本語でもコミュニケーションを取るのは大変だった。

 

数日経ったあと、同じプログラムに参加してた友人が、現地学生たちと上手くコミュニケーションを取り始めていることに気づいた。彼は、片言のタイ語で、単語を繋いで話していた。そのプログラムでは、基礎の単語を学ぶ授業が組み込まれいていて、僕らは同じ授業を受けていた。彼と僕の知識量は、そんなに変わらなかったかも知れない。でもその姿勢にはかなり差があったように思う。

 

僕はタイ語を話すことにした。と言っても、どうしていいかはわからない。引率の先生に協力してもらい、習った単語を使って、自分が言いたいことをタイ語の文にしていった。数日くらいは、酷いレベルだったけど、何日か屋台での買い物とかタクシーの運転手さんと話すことで、簡単な初級レベルの文は作れるようになった。

 

現地の言葉を話すことには、すごく強い力とか意味がある。どんだけつたない言葉でも、タイの人は最後まで聞いて、タイ語で返してくれた。タイ人学生も明らかに前と違う姿勢で、僕を受け入れてくれた。

 

それ以来、僕はなるべく現地語で話すようにしている。オランダでは、英語がとてもよく通じたので、英語力はかなり伸びた。でもそのせいでオランダ語を学ぶ機会がほとんどなかったのが心残りだ。英語で話しているうちは「外国人」なのだろう。

 

同じ言葉で、顔を見て話すには、大きな意味がある。顔を見て、言葉を交わす。そんな時間を大切にしたい。