卒論体験記No.17 終 2018-2020

 お断り

 プロセスを重視して、卒論体験記を書いてきたわけですが、あまりにプロセスにこだわりすぎて、筆が進まなくなってしまった。このまま放置しておくわけにもいかないので、先にゴールから書いてしまおうと思う。どの道、プロセスについての記事もあと1本か2本くらいだと思うので、ゴールを書いてしまってもそんなに違和感ないはず笑

 

 得たもの。2年間を振り返って。

 卒論のアイデアを思いついてから執筆し終えるまでの2年間。今までとは比べられないほど、孤独だった。おそらくこれからの人生でもそれくらい孤独な時間は訪れないと思う。

 

最後の1年間は一緒に入学した同級生が卒業して、大学を離れてしまったことで、物理的に一人になった。時々、話す人はいたものの、一人で過ごす時間は圧倒的に長かった。歴史と自然しかない彦根で一人で過ごす中で、今まで遠くへ遠くへ向かっていた自分の意識が、少しずつ内へ、自分の内側へと向かい始めた。

 

精神的にも孤独だった。1年間外国で本気で勝負すると言う経験はいい意味でも悪い意味でも、僕を外れた人間にしてしまった。自分がオランダで経験したことが全く理解されないというのを何度も経験して、どんどん僕はふさぎ込んでいったし、しまいには留学したことすら話さなくなった。最初は驚きだったものが、どんどん諦めに変わっていった。

 

そうした一人の孤独な時間が、僕に「自分にとっての幸せとは何か。自分らしい生き方とはどんなものか」という問いに向き合わせたのだと思う。このテーマと卒論について、考え始めてから、この人生で最も大事な問いから、逃げている人があまりにも多いことに気がついた。この問いに、決まった答えは用意されていない。自分の手で自分が納得する答えを描くしかないのだ。自分なりの答えを作るというのはたやすいことではない。僕も卒論を通して、その答えを作るプロセスで、何回も投げ出したくなったし、なかなか答えを出せない自分を見た人から散々批判を浴びせられてきた。

 

この卒論は経営学という枠を飛び越えて、人生に対して一つの答えを出そうとする学部生の卒論のテーマとしては、無理筋の挑戦だったと今思う。

 

 そんな孤独で苦しい時間だったからこそ、人との出会いを大切にできた。この卒論は信じられないほど素敵な人たちと僕を出会わせてくれた。自分の人生に責任をもち、世界を自分の手で切り拓く人たちをアントレプレナーと呼び、卒論という形に託して、彼らの生き方を見つめてきた。今でも最高のテーマだったと思うし、このテーマを選んだ自分を誇りに思う。

 

卒論の構想を練り始めたとき、卒論のゴールをビジネスパーソンになる自分へのエールという形で締め括りたいと考えていた。所属するハコが大学から会社に変わっても、自分の人生に責任を持っているか、常に自分の腕で世界を切り開くという意識を持ち続けているか。そういった投げかけを23歳の自分から送りたいと思っていた。卒論の本編に匹敵する字数の卒論プロセス編を書いてみて、その最初の思いを思い出した。

 

 卒論を作っていた2年の間で、答えは出なかった。しかし、どう生きるかに対する答えは早急に求めるものではない。僕の人生でじっくりと時間をかけて、その答えを作っていこうと思う。