丸ごと買いでしょ。

金沢のことを一気に書こうと思ったら、前回は非常にバランスの悪い記事になってしまった。横揺れの激しい新幹線の車内で書いたのも文体に影響したはずだ。帰りの新幹線はせっかく指定席を取ったのに、自由席の方がだいぶ空いていた。結局自由席の方が自由に座れる。

 

金沢に着いた僕はまっすぐ近江町市場に向かった。金沢の海産物がここにすべてある。全くノープランで来た僕は何となく知ってる観光地を選んで歩いた。

 

近江町市場はたくさんの商店が連なっていて、店ごとに人だかりができていた。店にはたくさんの魚がそのままの姿で並んでいた。僕はずっと内陸県で育ったこともあって(留学中さえ)、魚が姿そのまま並んでいるのを見ると、テンションが上がる。

 


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▲ぶり。この値段でこのサイズはビビるほど安い。のかもしれない。

 

大学生の時、当時お世話になっていた先生のゼミの企画に参加して、福井県の港までぶりを買いに行ったことがある。(そういう遊び心に富んだ発想本当にいいなあ。)そのときは1万円以上する丸々と太ったぶりをまるごと買ってそのゼミに混じってみんなで食べた。それが本当に美味しかったのと小分けで買うよりずいぶん安かったのを思い出して、今回もそうした。もちろんぶりをまるごと買う胃袋も財力もないので、ぶりのかわいいこどもの魚を買った。


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▲これ。1尾500円もしないからマジで安い。

 

ゲストハウスに帰って刺身にして食った。当時のぶりには及ばなかったけど、さっぱりとした旨味だった。控えめに言って、最高の夜だった。


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▲ちなみにこれ食べる前回らない寿司食べてます笑ナイス金沢笑

 

 

旅すること、そこに流れる時間と空気

旅をするといいよ。

仕事でうまく行かず、その気持ちを吐き出す先もなかった僕に、友だちがくれたアドバイスは旅することだった。

 

本当は別の用事で行く予定だったけど、急遽その予定がなくなって金沢に旅することになった。

 

「所詮国内でしょ?どこ見ても変わんないじゃん。」海外に長く足をかけてきた僕は内心そんな気持ちと、町全体が忙しく感じる東京を離れられる安堵感、そして興奮を抱えながら土曜日朝の新幹線に乗った。

 

北陸新幹線開業の日、僕は金沢駅にいた。その日僕は親戚を訪ねて金沢に来ていた。それから5年経って、初めて金沢まで新幹線で来た。5年前僕はまだ大学1年生だったから、色んなことが僕の中で変化した5年だったと思う。一度来た場所にまた来ると、その時の自分がひもづいて思い出される。


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金沢は僕にとって不思議な場所だ。昔から親戚が住んでいたから、毎年のように来ていた。卒業旅行でも来たけど、人が目的になって、落ち着いて町を見ることはなかった。

 

 

金沢はずいぶんキラキラした町になっていた。昔は日本、小京都という色が強かったけど、若い人を意識したお店が増えたように見えた。活気が増した一方で、小東京になってしまったような気もして寂しさがあった。



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▲こんなおしゃれなところ5年前はなかった気がする。

 

細かいことはまた書くとして、このタイミングで金沢に来たのは本当によかった。歴史ある町のゆっくりした時間の流れと、人を受け入れる空気が自分をリセットさせてくれたと思う。

To be continued..

都内某所ジム

僕は東京に来てから、週5、6のペースでジムに通っている。僕のジムの仕組み上、同じ会社の他の場所のジムにも通えるわけだけど、僕のジムはダントツで気持ちいい。

 

理由はいくつかある。場所(僕のオフィスから徒歩5分)、マシンの充実度(都内の他のジムより、マシン、フリーウェイトともに断然揃っている)。そして何よりジムに来ているマッチョの多さだと思う。

 

僕がメインで通っているジムのエリアにはゴールドジムがない。マジで鍛えるマッチョは普通ゴールドジムに行くけど、僕のエリアにはないので、流れてきているのだと思う。

 

マッチョはいるだけで、テンションが上がってくる。(僕はゲイにすこぶるモテるが、ゲイではない。)目標にしたくなるような体がそこらじゅう動き回っているので、やる気があふれでる。

 

そんなジムに通って気づいたのが、ごりごりのマッチョの性格のよさだ。本気で鍛えているやつに悪いやつは、ほぼいないということだ。

 

おそらくこれは見栄がないということだと思う。中途半端に鍛えているやつは勝負する相手が他人なので、他人に勝ろうとして見栄を張る。一方ガチで鍛えているやつは自分と向き合うしかなくなるので、見栄を張る必要がない。それと真剣に鍛えれば素の自分に自信が出るので、見栄を張る代わりに胸を張る。結果シャツも張って、そのうち破れる。

 

他人に嫉妬とか見栄を張っているうちはまだイマイチなレベルなんでしょう。筋トレもその他も実力を上げて、突き抜けるのが大事だ。

起業の二面性

 ブログを定期的に更新しなくなって久しい。何か自分のアウトプットが停滞しているような気がして、あまり嬉しくない。

 

近況色々あったのだが、最近起業について聞かされることが多い。起業に関して、大概の切り口は「企業に人生を支配されて生きていくのはアホだ。自分の好きなことで生きていくべき。」といったものだ。どうも起業がもてはやされているし、起業した人がすごいといった風潮もあるので、ここで一石投じてみたい。

 

僕は起業に関しては、2つの面ににわけて議論すべきだと思う。時間の使い方を決めるという面(時間)と、人を喜ばせるためという面(お金)だ。

 

時間の使い方を決めるという面(時間)

起業がソリューション!という話に首を突っ込むと、大概会社、仕事へのストレスと起業すれば自由になれるといったポイントで話が進む。これは間違っていない。起業して自分がボスに支配される立場でなくなれば、時間の使い方はほぼ自分の裁量にゆだねられる。

 

一方で欠落しがちなのが「人を喜ばせなければいけない」ということだ。

 

人を喜ばせるためという面(お金)

起業しようが、そこで生活費を稼ごうとする以上、お金を得なければいけない。(趣味で起業。ノリはボランティアというなら別だけど。)お金は必ず人が払う以上、人を喜ばせなければいけないのだ。なぜなら人は自分が喜ぶことにお金を出すからである。

であれば、どうすれば他人を喜ばせられるか真剣に考えなければいけない。誰かを喜ばせるためのシナリオを本気で練らなければならない。起業かサラリーマンかは、そのときに使うツール(自分んという個人か会社か)という手段の違いでしょう。

 

起業界隈の人が、自己啓発よりになっていたり、信頼に欠ける人が多かったりするのは、他人を喜ばせるということに真剣に向き合っていないからだと思う。

 

 

結局起業した人が偉いなんて話ではなくて、何を使って他人を喜ばせられるかかどうかだけの話だ。もちろん自分の稼ぎを増やせたり、時間の使い方を決められるのは大きな魅力だ。それは人からお金をもらえる状態になってからの話だと思う。人を喜ばせるために、自分の名前で勝負するのか、会社を使うのか。違いはそういうとこでしょう。

 

以上、文化の日のエッセイでした。明日からまたがんばろう。えいえいおー。

 

 

 

 

 

電車通勤

 上京してから電車で会社まで行っている。最近通勤経路をちょっと変えてみた。

 

 今までJRの常磐線で会社の最寄駅まで通っていたけれど、最近地下鉄に変えてみた。

 

ちょっと前にお客さんのところに行くときに、もたもたしていたら時間がギリギリになって、いつもJRで通勤するときに通るところを日比谷線で行った。その時は、やれやれと思ったけれど、いざ乗って見ると、会社まで近くなるし、乗り換えも少なくて済むことがわかった。

 

それ以来、地下鉄で通っているけど、今のところかなりいい。常磐線はカーブがかなり急で金切音で頭がイカれそうになる。その点日比谷線は穏やかでいい。(ある人曰く日比谷線で通勤するのは「オシャレ」らしい。ちなみにメトロの中で銀座線はダントツでチャラい。関係ないけど。)

 

と色々考えてみて、常磐線を変えた本当の理由は、帰りの電車が荒れていることだと思った。上野からの下り電車は酒を飲み始める人が多くて、車内が酒臭い。クロスシートじゃなくて、横向きに向かい合わせのロングシートで飲んでいるので、宴会みたいになってる。ゴミはゴミ箱へって言葉知らねえのかって、くらい車内にカンが転がっていて、カーブの旅に自分の足下に転がってくる。毎日こんなんだとさすがにめんどくさい。笑

 

久しぶりに文章を書くと、なんだかまとまりが悪い。最近は色々新しいことをやったり、上手くかないことがあったりして、あまり書けなかった。また自分で経験したことをじっくり咀嚼する時間を取りたいと思いまーす。では。

怒りと話し合いの精神

 以前、怒ることある?と違う人に、立て続けに聞かれた事があった。僕はあまり怒らないつもりなのだが、それを言うと、えーとかそれじゃ続かないでしょとか言われたので、どうもあまりよく映らないらしい。笑

 

 回り道から入るけど、怒られる(受動)という言葉は、言葉の範囲が曖昧で僕はあまり好きではない。例えば、先輩に怒られた。という時、大概それは自分のミスを指摘されたという事だったり、次がよくなるようなアドバイスをもらった時だったりする。事実を直観的に抜き出せば、とてもありがたい事だと思うけど、それを怒られたと書いてくくってしまうと、どうも意見をくれた先輩を悪者にしていう感じが出る。なんだが被害者意識にして片付けてしまっているのもよろしくない。

 

では怒る(主体)という場合はどうか。僕は「怒りの負の感情のままに、思いを伝える行動を取ること」だと思っていた。大阪で言うと、「ちゃあすぞオラ」的な。その意味でいえば、僕は「それは違うぞ」と思った時に、淡々とポイントをつくような話をするので、怒ることはあまりないかも。「怒る」がイライラする、負の感情を抱くと言う意味なら、当然あります。僕だって人間ですから笑

 

怒りの感情を抱いた時に、感情のままに伝えるか、一度冷静になって、ポイントを整理して伝えるか。どちらがいいかは、もちろんケースバイケースだけど、基本的には後者がいいと思う。(※)オランダで「話し合いの精神」に触れて、それが僕に大きく影響している。

 

 オランダでは、トラブルが起きた時に話し合いで解決するのが、基本だ。これは昔堤防を住民が担当制で管理していたのが、発祥らしい。堤防は1箇所でも切れれば、町全体が洪水になってしまうため、それぞれの担当が責任を持って自分のエリアを管理して、報告する必要がある。だから、自分のエリアのことを知っていなかったり、それに基づいた意見を言わなかったり、また他の人を無視して自分の意見を押し通すということは、全員が被災するリスクを産むので、基本的に許されない。

 

オランダ人は今でもその気質を受け継いでいて、何かあることに話し合う。授業のワークショップは先生が話す時間がほとんどないくらい、ひたすら学生同士で意見を交わしているし、友だちの喧嘩ですら、ずっと膝を付き合わせて話し合っている。オランダ人の友だちいわく、オランダでは小学生から自分の意見を言うこと、相手の意見を聞いて考えることを教えこまされる。オランダ人が相手の意見をちゃんと聞くというのは、疑問符なところはおおいにあるけれど、基本的話し合いとか議論がとてもうまい。

 

これを話し合いのトレーニングを受けていない日本人がやると結構キツい。黙って距離をおくとか、怒って怒りのままに伝えるというのは基本的に何も伝わらないので、論外。相手の意見を聞きつつ、自分の意見を相手に伝わるように伝え続けなければいけない。僕は留学中に一度本当に仲のいい友だちとトラブルになった事があって、当時の僕は嫌がって距離をおいた。それから1ヶ月ぐらいした飲み会で、僕は共通の友だちに「Talk!!!」とめちゃ怒られた(おっと、失礼)ので、それからその子と話し合ったけれど、正直留学中一番しんどい思いをした。最初は責められていると思ったし、その時ほどまともに話し合った経験もなかったから。1回目は思いっきり面食らったけど、そのあとは何を話すか、どういう展開になりそうか、全部想定してから話すことにした。その話し合いは3回もして、なかなか苦しかったけど、今では逃げずに話してよかったなと思っている。

 

それ以来、話し合うという解決策はすごくいいと思うようになった。お互い目線を合わせて、膝を付き合わせないと、自分の思いも相手の思いもうまく理解できないだろうしね。話す、聞くというのがお互いに理解に一番繋がるはず。

 

というわけで!改めて。僕は怒りません、話し合います。

Not being angry but discussion!以上!

 

※あ、インドでは僕はめちゃくちゃ怒ってキレていました。というのも、インドはこっちの感情を思いっきりぶつけないと、100%相手の都合で進んで行くので、コミュニケーションの一環してというか、ソリューションとしてキレるしかなかったという成り行きです、特に日本人は。

遅延証明書

 東京の電車はとにかく正確でびっくりする。こんなに複雑に路線が張り巡らされているのに、3分でも遅れようものなら駅のアナウンスで申し訳なさそうに謝っているので、面食らってしまう。とはいえ、乗り換えで数分が命みたいなケースもあるので、理解できなくはない。

 

 ときどき、電車がそもそも遅れるものだったら、どうなるんだろうと考える事がある。遅れるのが普通なら、もっと楽になるんじゃないかなと。

 

そもそも日本の電車のスケジュール、正確さをみると、「完璧な品質に対する期待」のようなものを感じて、息苦しくなることがある。2分以上遅れないこと、絶対に事故らないこと、ストライキとかで運休にならないこと。どれも頭に「完璧に」のような言葉が見え隠れする。

 

要は期待が高すぎるのだ。高すぎる期待の先には、期待に応えるための果てしない努力か、期待に応えられなかった失望感の2つに1つになる。

 

日本の電車の場合、完璧に動く事が当たり前という高い期待があるので、それを成し遂げるために人間的な働きを超えた努力がある。遅延や運休など、その期待が外れた時、僕らは大きな失望感を味わう。結果、駅員さんに怒鳴り散らすおっさんが爆誕する。

 

日本の品質はこういう正確さ、緻密さに支えられていたりするので、一概には比べられないけど、オランダに行った時、一番最初に驚いたのはそこだった。

 

日本からオランダに来る日本人留学生の僕以外は、オランダのハブ空港である、スキポール空港着のフライトを使ってオランダに入っていた。僕は、それじゃオモんない!と思ったので、イキってマーストリヒトの近くのドイツのドュッセルドルフ空港を利用することにした。(これが地図だと、スキポールより近いのだけど、いざ電車に乗ると、階段を昇り降りする乗り換えが3回あって、近くてバカ遠いのだ。)

 

空港からは電車で向かうことになっていた。ところが、電車は待てど暮らせど、全然こない。特に放送もないので、ジタバタしていると、40分くらい経ってようやく電車がノロノロとやってきた。その時も特に案内もなく、それに目くじらを立てている人も一人もいなかった。あれドイツなのに、と思って面食らってしまった。

 

ドイツでもこんな感じなので、ヨーロッパは終始こんな感じでスト、運行取りやめ、大幅な遅延などざらにある。不便さを受け入れるみたいなとこがヨーロッパに住む一つのカギである。

 

話が発散してしまったけど、完璧すぎるのはどうなのかなーっている日々雑感の回でしたー。(無理やり締めます笑)