怒りと話し合いの精神

 以前、怒ることある?と違う人に、立て続けに聞かれた事があった。僕はあまり怒らないつもりなのだが、それを言うと、えーとかそれじゃ続かないでしょとか言われたので、どうもあまりよく映らないらしい。笑

 

 回り道から入るけど、怒られる(受動)という言葉は、言葉の範囲が曖昧で僕はあまり好きではない。例えば、先輩に怒られた。という時、大概それは自分のミスを指摘されたという事だったり、次がよくなるようなアドバイスをもらった時だったりする。事実を直観的に抜き出せば、とてもありがたい事だと思うけど、それを怒られたと書いてくくってしまうと、どうも意見をくれた先輩を悪者にしていう感じが出る。なんだが被害者意識にして片付けてしまっているのもよろしくない。

 

では怒る(主体)という場合はどうか。僕は「怒りの負の感情のままに、思いを伝える行動を取ること」だと思っていた。大阪で言うと、「ちゃあすぞオラ」的な。その意味でいえば、僕は「それは違うぞ」と思った時に、淡々とポイントをつくような話をするので、怒ることはあまりないかも。「怒る」がイライラする、負の感情を抱くと言う意味なら、当然あります。僕だって人間ですから笑

 

怒りの感情を抱いた時に、感情のままに伝えるか、一度冷静になって、ポイントを整理して伝えるか。どちらがいいかは、もちろんケースバイケースだけど、基本的には後者がいいと思う。(※)オランダで「話し合いの精神」に触れて、それが僕に大きく影響している。

 

 オランダでは、トラブルが起きた時に話し合いで解決するのが、基本だ。これは昔堤防を住民が担当制で管理していたのが、発祥らしい。堤防は1箇所でも切れれば、町全体が洪水になってしまうため、それぞれの担当が責任を持って自分のエリアを管理して、報告する必要がある。だから、自分のエリアのことを知っていなかったり、それに基づいた意見を言わなかったり、また他の人を無視して自分の意見を押し通すということは、全員が被災するリスクを産むので、基本的に許されない。

 

オランダ人は今でもその気質を受け継いでいて、何かあることに話し合う。授業のワークショップは先生が話す時間がほとんどないくらい、ひたすら学生同士で意見を交わしているし、友だちの喧嘩ですら、ずっと膝を付き合わせて話し合っている。オランダ人の友だちいわく、オランダでは小学生から自分の意見を言うこと、相手の意見を聞いて考えることを教えこまされる。オランダ人が相手の意見をちゃんと聞くというのは、疑問符なところはおおいにあるけれど、基本的話し合いとか議論がとてもうまい。

 

これを話し合いのトレーニングを受けていない日本人がやると結構キツい。黙って距離をおくとか、怒って怒りのままに伝えるというのは基本的に何も伝わらないので、論外。相手の意見を聞きつつ、自分の意見を相手に伝わるように伝え続けなければいけない。僕は留学中に一度本当に仲のいい友だちとトラブルになった事があって、当時の僕は嫌がって距離をおいた。それから1ヶ月ぐらいした飲み会で、僕は共通の友だちに「Talk!!!」とめちゃ怒られた(おっと、失礼)ので、それからその子と話し合ったけれど、正直留学中一番しんどい思いをした。最初は責められていると思ったし、その時ほどまともに話し合った経験もなかったから。1回目は思いっきり面食らったけど、そのあとは何を話すか、どういう展開になりそうか、全部想定してから話すことにした。その話し合いは3回もして、なかなか苦しかったけど、今では逃げずに話してよかったなと思っている。

 

それ以来、話し合うという解決策はすごくいいと思うようになった。お互い目線を合わせて、膝を付き合わせないと、自分の思いも相手の思いもうまく理解できないだろうしね。話す、聞くというのがお互いに理解に一番繋がるはず。

 

というわけで!改めて。僕は怒りません、話し合います。

Not being angry but discussion!以上!

 

※あ、インドでは僕はめちゃくちゃ怒ってキレていました。というのも、インドはこっちの感情を思いっきりぶつけないと、100%相手の都合で進んで行くので、コミュニケーションの一環してというか、ソリューションとしてキレるしかなかったという成り行きです、特に日本人は。