処世術1 感情的な反省をしない。怒られた、は禁句。

 学生時代、あるプロジェクトの目標を問われて、ふと感情的な反省をしない、と書いたことがある。今から、3年くらい前の話だけど、新入社員になって怒られる(おっと、失礼。)機会が増えたいま、なかなかいい所に目をつけていたなと思った。


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▲ホームセンターで見つけたバナナの木。バナナの木を買うのを目標に5月も爆走する。

 

 ミス(教訓という意味で)や先輩などからの指摘は、行動を修正することのが目的だからだ。ネガティブになったり、自分を否定して落ち込んだりすると、どうしてもその本質的な部分に目が行きづらくなる。これは非常にもったいない。

 

 大学4回生のとき、とあるアルバイトの締めの作業をしそこなって、大問題になった。そのアルバイトを廃止にするか議論されるくらいのおおごとになり、翌日スーツを着て謝罪に行った。当時は、他のことが全く手につかなくなるくらい落ち込んだ。

 

その時自分だけでは抱えきれなくなって、周りの中のよかった友だちに相談した。すると、周りの友だちは気持ちのいいくらいあっさりしていて、次から修正すればきにすることは何もないよと言ったアドバイスをくれた。一番助けになったのは編入生の友人の意見だった。

 

「私だったら、これで周りの人も気をつけるようになるし、みんなにとっていい勉強になったんじゃない。もちろん口には出さないけど。」周りの人に話すと、悶々とした感情がすっぽり抜け落ちて、本質だけが残る気がした。それから、ミスをした時、周りの人に話したり、自分で言葉にしてみて、感情的な反省をなるべくしないようになった。

 

 「怒られた」と思っているのは、自分だけである。怒った人ですら、大抵注意したり、修正して欲しいから、指摘したりしただけというのがほとんどだ。それを怒られたと片付けてしまうと、思考が停止して成長がない。反省も大事だが、大事なのは改善だ。ミスを中身の改善に最大限生かす。それが大学生の僕が見つけたミスの生かし方だ。


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▲生きろ。