起業の二面性

 ブログを定期的に更新しなくなって久しい。何か自分のアウトプットが停滞しているような気がして、あまり嬉しくない。

 

近況色々あったのだが、最近起業について聞かされることが多い。起業に関して、大概の切り口は「企業に人生を支配されて生きていくのはアホだ。自分の好きなことで生きていくべき。」といったものだ。どうも起業がもてはやされているし、起業した人がすごいといった風潮もあるので、ここで一石投じてみたい。

 

僕は起業に関しては、2つの面ににわけて議論すべきだと思う。時間の使い方を決めるという面(時間)と、人を喜ばせるためという面(お金)だ。

 

時間の使い方を決めるという面(時間)

起業がソリューション!という話に首を突っ込むと、大概会社、仕事へのストレスと起業すれば自由になれるといったポイントで話が進む。これは間違っていない。起業して自分がボスに支配される立場でなくなれば、時間の使い方はほぼ自分の裁量にゆだねられる。

 

一方で欠落しがちなのが「人を喜ばせなければいけない」ということだ。

 

人を喜ばせるためという面(お金)

起業しようが、そこで生活費を稼ごうとする以上、お金を得なければいけない。(趣味で起業。ノリはボランティアというなら別だけど。)お金は必ず人が払う以上、人を喜ばせなければいけないのだ。なぜなら人は自分が喜ぶことにお金を出すからである。

であれば、どうすれば他人を喜ばせられるか真剣に考えなければいけない。誰かを喜ばせるためのシナリオを本気で練らなければならない。起業かサラリーマンかは、そのときに使うツール(自分んという個人か会社か)という手段の違いでしょう。

 

起業界隈の人が、自己啓発よりになっていたり、信頼に欠ける人が多かったりするのは、他人を喜ばせるということに真剣に向き合っていないからだと思う。

 

 

結局起業した人が偉いなんて話ではなくて、何を使って他人を喜ばせられるかかどうかだけの話だ。もちろん自分の稼ぎを増やせたり、時間の使い方を決められるのは大きな魅力だ。それは人からお金をもらえる状態になってからの話だと思う。人を喜ばせるために、自分の名前で勝負するのか、会社を使うのか。違いはそういうとこでしょう。

 

以上、文化の日のエッセイでした。明日からまたがんばろう。えいえいおー。