断つことを決める

 暑中お見舞い申し上げます。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。僕はどこも行かなかった夏休みの10連休の終わりを惜しんでおります。

 

 最近同期とか同世代の友だちの話を聞く機会がしばしばあって、決断について考えさせられた。魅力的な人ほど、決断にその人らしさが現れていて、話が面白い。逆に、話にひっかりのないように感じる人は、聞いていてそれって自分で決めたのかなと思うこともある。

 

そもそも決断とは断つことを決めるプロセスだ。だから、決断するときは捨てるものを考えないけない。

 

難しい決断であればあるほど、選択肢がどちらを取っても得るものも失うものも大きくなる。失うものが大きいと、周りも反対する人が多くなるということだ。基本的に他人は無責任なので、うまく行かない可能性を限りなく下げるように勧める人がほとんど。全員がいいねと言うような選択肢なら、みんなやるだろうし、そもそも決断どころかそれは合理的な選択肢を取っているだけになる。(合理的に考えて答えが出るものなら、99%の人は同じようにするだろうし、特に決める必要もないでしょう。)最近の若者向けキャリア論のようなものには、あたかも決まったレールや、そこにみんなに当てはまる正解があるような論調が見え隠れする。でも僕ら一人一人が違う以上、その「答え」が当てはまらないことも多いんじゃないかな。

 

 合理的に根拠を探してもないような選択なら、決めてとしてそこに残るのはその人の価値観しかない。だからこそ、周りに「そんなもん無駄じゃん。」とか「それに何の意味があるの?」と言われまくりながら、全力で振り切って進んでいくような人の話は面白い。就活にもお金にも短期的には直接結びつかない内閣府の事業に参加して、その後も自分が信じた道を走り続けている人、誰も与えてくれないよう「外国で起業」という選択をして、その道を極めていく人。そこまで派手じゃなくても、自分なりにたくさんの経験をして、会社を選び取ったり、自分なりの道をいく人。スポットライトはあまり当たらないことも多いし、みんなすべったり転んだりもしているけど、頭の良くない僕が聞いて夢中になってしまうほど、その人らしさが出ていて、彼らのストーリーは面白い。

 

自分で決めることの大切さ、そのためにノイズを消して、自分の心の声に向き合うことの大切さ。これはいくら強調してもしすぎではない。他人が自分の人生に責任を取ってくれない以上、自分で人生に責任を持って、自分の腕で切り開いていくしかない。もちろん、その道は厳しいけれど、その先にあなたらしい楽しい世界が広がっていると僕は信じている。

 

f:id:banri_ozawa:20200810114229j:plain