自信とは自分の可能性を信じること

 今年で24歳になった。オランダ留学以降、年下でもすごいと思える人にたくさん会ってきたせいで、24歳は若くないと思っていたのだが、世の中ではどうも若いらしい。(と思わせられる出来事があった)

 

 若いというのは色んな捉え方があると思うけど、一面的には「まだ何もない」ということだと思う。それはいい面も悪い面もある。ちょっとひねりをかけて、自信と若さについて考えてみたい。

 

 僕は全く根拠のない自信というのは、ないと思っていて、自信は必ず何らかの成功体験に紐づくはずだと思っている。だから、努力を積み重ねて、目標を達成したという体験を早いうちからしておくといい。(東大生が有利なところは、受験という比較的大きくてわかりやすい指標で、一番偏差値の高い大学に合格するという結果を出しているので、「俺やればできるんじゃね?」と考えやすいところだろう。)

 

じゃあ成功体験を重ねまくって、「俺すごいだろ。」というのが自信の持ち方かというと、そうではなくて、それは自分に対する過信だ。自信は常に未来に向けておくべきで、「自分はもっとできる、自分にはまだまだ可能性がある」と信じられる状態だ。

 

世界は広い。世界のおよそ40の国を訪れる一方で、滋賀の片田舎に軸足を置いてみて、すごく小さな世界でマウントを取って、自分を過大に捉えている人をたくさん見た。かく言う僕もそうで、留学に行く前の2回生くらいまでは、内閣府の事業に参加したとか、中途半端に英語が話せるだけで、自分はすごいと思っていた。

 

すごい人に限って謙虚だなあと思う。

 

すごい人を見れば、自分を価値のないものに感じると言う感覚も味わう。世界のトップレベルにいる人に直に会うと、実力、頭のキレ、バックグラウンド、どれを取っても、こいつにはかなわないなという怪物だらけだ。あまりの自分との違いに、自分の大切にしていたものが吹っ飛ばされたり、自分が価値のあるものと信じられなくなる。

 

視座を高く保つために、すごい人たちと会って、一流のものを見る。その上で自分を信じる。自分の未来、可能性を信じることが大事になる。その2つのマインドを同居させておくことが、自分を成長させ続ける源になると思う。

 

僕は他の人よりも1年遅らせて会社に入ったけど、24歳1年目というのはひよこみたいなものなのかもしれない。まだ何も知らないからこそ、自分に色んな味を染み込ませることができるし、たくさんのものを吸収できる。新鮮な気持ちで学び続けられるこの時間を大切にしたいと思うし、いつまでも若い気持ちで学び続けたい。

 

(普段聞いているASHRADIOを聞いて、思ったことを自分の経験を元に書きました。)