卒論体験記No.13 2018-2020

超えられない言葉の壁 暗黙知 経験知の話

 ちょっと回り道から入る。僕は人の感覚、考えの本当に大事なところは実際に目にしたものからしか作られないと思っている。実体験、直接体験は極めて思いということ。僕も留学、内閣府の事業を通して、見たもの、そこで会った人からかなり多くの影響を受けた。それらの経験から僕が感受できるものは大きく広がった。だからそれらの経験がレバレッジとなって、僕を大きく成長させてくれたのだ。多くの人は留学が人生を変える経験になったというし、僕に取ってもそうだ。でも、僕にとっては留学が出発点だという感覚の方が大きい。留学をきっかけにして、その後の世界が大きく拡張していったのだから、留学そのもので得られたことよりも、その後の拡張した世界で身に付けたものの方が大きかったというわけだ。

 

 話をもとに戻す。どういうことが言いたかったかと言うと、ある程度の経験がないと見えないものが結構あるんじゃないかということだ。逆説的でわかりにくいけど、例えば、外国での経験がどうだとか、国際交流がどうだとか、もっと広義で言えば未知なことに挑むってどういうことかとか。今の僕にとってはビジネスパーソンとしての経験もそうだ。僕はそれをイメージ画像の共有と呼んでいるけど、似たような経験がなければ、どれだけすごい話をしてもらっても、心でキャッチできないと思う。

 

 僕の卒論のテーマもそうだった。僕の視点を伝えることにはとてつもなく大きな壁があった。(もちろん僕のプレゼンスキルにも大きな問題もあったが。)どれだけ題材にしている人たちが面白くても、どれだけ熱を込めて語っても、それは伝わらなかった。「成功した理由?それは運でしょ。」という指摘を山ほどもらった。もちろん勝因だけに限定した研究なら、それだけの結論しか出ないだろう。でも僕は、もっと大きな、目に見えないものを追いかけていた。それを解き明かすことの面白さが、伝わる人には確かに伝わっていたことを考えれば、きっと僕のプレゼンスキルだけじゃない原因が、伝わらないことのもどかしさを増幅していたはずだ。

 

つづく。