計画された偶然性1

 大学生になったら、自力で海外に行くものだと思っていた。とは言え、一人でいきなり行くのは怖い。1回生の春学期に受講していた大学の授業で3週間タイに行くプログラムが紹介されていた。ちょっと値段は張ったが、親からお金を借りて参加した。

 

 大学生になってから行く外国は新鮮だった。引率だった先生はすごく寛容な人で、ある日単独行動したいと言った僕のわがままなリクエストを受け入れてくれた。その夜みんなと離れてカオサン通りに行った。刺激的だった。怖かったけど、ドラマ版深夜特急で見た通りのきらびやかで熱気が立ち込めた光景が広がっていた。ホテルへの帰りは興奮したまま、値切ってタクシーに乗った。帰りの報告をしようとしたら、すでに先生は寝ていた。

 

 その先生はその後の僕の大学生活のきっかけをくれた。その年の11月たまたま見た先生のFacebookの記事で、外務省の外郭団体が大学生を韓国に派遣するプログラムを募集していると知った。無料で外国に10日間も行ける。僕は特に深くも考えずに応募課題になっていたエッセイを書いて送った。

 

 年末、僕は2週間のバックパック旅に出かけた。その出発地点の高松空港で僕は結果を受け取った。合格通知を見て、僕は絶叫した。16人の合格者の整理番号の中に僕の番号があったのだ。喜びで軽く涙さえ流していた僕に、周りの中国人観光客は目を丸くしていた。あとで落ち着いて見ると、倍率は13倍だった。

 

 3月に行った韓国のプログラムはまるで修学旅行だった。毎日観光、大学や施設訪問などをして、大学生の個人旅行では絶対食べられないような豪華な韓国料理を毎日食べた。派遣団には僕と同い年の1回生が5人もいて、スケジュール終了後僕たちは毎晩のようにホテルの部屋に集合して、お酒を飲んでワイワイしていた。19歳の僕たちは法律の違いをいいことに毎日夜中まで話しこんだ。(韓国では19歳から飲酒が合法。)

 

 気付いたら僕は5人のグループのうちの一人の子のことが好きになっていた。長い期間一緒にいたわけじゃないし、深くお互いにことを知っていたわけでもない。若かったなと今では思う。当時の僕はすごく子供っぽかったし、今その子のことを好きになることはないけれど、爽やかな思い出として今の僕の記憶に残っている。

 

 その子は慶應の文学部に通っていて、すごく大きな国際交流サークルで活動していた。僕は東京の大学に行けなかった反動もあって、その子の話を聞いて、いなかの大学でくすぶっていた自分に、大きな焦りを感じていた。

 

思いついたので、書いてみました。つづく。