黒人差別について

世界で黒人差別反対運動が起こっている。僕はもちろん差別には反対だが、僕のスタンスはデモに参加して声高に反対を訴える人とは異なっている。この問題に対して僕らができることは、デモ参加者も含め、僕ら自身が差別の加害者になるかもしれないと意識しておくこと、常に他の人にとって何が差別だと感じるのかだと思う。

 

トランプとかデモの広がりが大きく取り上げられすぎて、元の問題が見えにくくなっているが、もとは白人警官が黒人男性の首を押さえつけて殺してしまったことである。(僕の浅い知識で申し訳ないが。)

 

少し想像力を働かせてみよう。もし自分が黒人男性を取り押さえている白人警官だったら、自分の犯人を捕まえるという任務を遂行している最中、自分のしている行為が差別になるかもしれないと想像を広げることができるだろうか。僕はその自信があると言いきれない。もちろん9分近く抑えつけるのはやりすぎだと思うが、そこだけ切り取ってこの問題を黒人差別にするのは、話を断片的に見すぎではないか。

 

そもそも何が差別には当たるのか。差別の定義を明確にしなければ、差別の議論をするのは難しい。しかしこれが難しい。いじめが、いじめがを受けた人がいじめだと感じたらいじめであるように差別も、誰かが私は差別を受けていると感じたら差別になる。同じようにパワハラブラック企業も同じようだと思う。(ちなみに僕は、自分の肌の色と国籍(もっと広げれば所属)のステレオタイプで自分を判断されたら、差別だと感じる。)

 

このように差別は人によって感じ方が違う。そうである以上、差別について考えるには、自分が差別されていると感じる経験を通して、何が差別であり、何が他の人を嫌な気持ちにさせるのか体感的に学んでいくしかない。

 

私は差別に反対と声高に叫んでいる人に問いたい。あなたは自分がマイノリティーになり、他人のふとした言動に傷つく経験をしたことがあるだろうか。逆に自分の何気ない言動が差別になり、他人を傷つけていないと自信をもって言えるのか。常に差別していないと言える自負があるのか。

 

日本人と言うだけでアニメについて散々聞かれ、うんざりする気持ちがわかるだろうか。外国で肌の色が違うということで、後を付けられる怖さがわかるだろうか。外国でマスクをしたら、お前はコロナだと大声で叫ばれる経験はあるだろうか。

 

僕の経験はまだまだ少ないけど、そういったマイノリティとしての経験を通して、他の人への想像力も拡張してきた。

 

差別に反対と主張する人が多い一方で、自分にとっての差別とはなにか、考えようとしている人が少ないように思う。差別は自分で経験するしかない。それを通して想像力を鍛えることでしか、差別をなくしていく手はないと思う。私は差別をしていないと表面的に表明しているだけの人が多いとしたら、この問題の根本的な解決は難しい。

 

僕自身は、差別に反対する手段として、マイノリティにになる経験を通して、想像力を鍛えていきたいと思う。