卒論体験記⑦ 2018-2020

 空回り、期待値

 夏休み明けの9月ごろ、僕の思いは何度も空回りしていた。どう自分の理想像を伝えても、全くグループに浸透していかなかった。僕の期待値と現実とのずれに、大きく失望していた。

 

 オランダの幻影に取り憑かれていた時期でもあったと思う。オランダで最後に経験したグループワークはうまく行き過ぎていた。それはアメリカの歴史に関する授業で、ネイティブアメリカンと新しく来た移民の歴史を取り扱ったものだった。そのグループはメンバーも進め方も最強だった。6人の違う国籍(オランダ、フランス、フィンランドラトビア、韓国、日本。普通の大学の授業で、ここまで多国籍になるのはすごい。)を持ったメンバーが、それぞれの持ち味を発揮しまくりながら、同時に重なることもなく効率的に準備していった。30分以上のミーティングはしたことがないし、自分の持ち場をおろそかにした人も一人もいなかった。発表は完璧だった。そんな質を経験してしまった後、僕の当たり前の水準は、とてつもなく高くなっていた。

 

 思い通りにならない全てに苛立っていた。目的を意識せずただ根性だけを見せる姿、直前になって怠慢を正当化する主張。僕は声に出さずに、それらをプロフェッショナルではないと断罪した。僕の目に映るそれは、理想像とはあまりにもかけ離れていた。(この経験があるから僕はイタリアから日本代表に合流していた中田英寿の気持ちがよくわかる。)切迫感にかけていた。同じ青写真が描けないまま、時間は経過していった。

 

この頃、僕はゼミの外で色々な失敗を犯している。後から見てみると、それらは普段のマインドセットならしないであろう行動だった。ネガティブな状況はメンタルに悪い影響を及ぼす。この時期の経験から、僕は一緒に働く人や環境の重要性を学んだ。

 

大人たちへの失望

 実はこの時期もう一つ失望したものもあった。実を言えば、こちらの方が、僕の今の考え方に大きな影響を及ぼした。ざっくり言うと、手のひら返し。

 

 研究チームに合流してから3ヶ月くらいして、僕は限界を超える心労や疲労が溜まっていた。何かのウイルスを拾って、毎日吐き気を催すようになってしまった。僕は学校医に相談して、研究から離れることになった。(この時、肉体的限界が心理的限界よりも先に来たのは、改めてよかったと思う。)

 

 当時お世話になっていたとある先生は、直後に「なんでもっと早く言わなかったの?」と聞いてきた。僕は以前から何度も伝えていたはずである。また学校外で相談していた人に相談をすると、「少人数のチームをもためるくらいの簡単なことをできなかったら、何もできないぞ。」と以前何度も言っていた。体調を崩したと伝えると、自分が言ったことを全く覚えていないらしかった。

 

 この人たちにそれ以来、個人的な相談をすることはなくなったが、それ以上に人に対する信頼が変わった。僕が苦しい局面で、自分の正当化に走る姿を目の当たりにしたのは残念だった。でも人間そんなものである。みんな自分が悪者にならないように生きているのだ。(おそらく認知的不一致がかかっていたのだろう。)まあそれでも今後、世の中を生きる中で大きく裏切られることに比べたらかすり傷でしょう。

 

あまり楽観的に期待値を上げすぎないということを、この経験から学んだ。

 

僕は、11月にゼミの大きなカリキュラムから離れることになり、自分で使える時間が増えた。その時手にしたのが、本だった。