インドと生きている実感 Diary No.8

今この記事をインドの寝台車の中で書いている。この最下層の寝台車でも、周りのインド人が持っている荷物は僕とそれほど変わらない。というか僕より良さそうなものもある。思ったより心配することは少なそうだ。

 

 

インドにいると、生きている実感がわいてくるとか、人生観が変わるというのはよく言う話だ。僕の2週間の滞在は短すぎるので、あまり人生観が変わるにまでは至らなさそうだけど、生きている実感は、僕の場合ははっきりと目減りしていた。

 

 

前回もちらっと書いたけど、もっと言葉にすると、こんな感じだ。インドの放つエネルギーはすさまじい。そのエネルギーは間違えなく人々が作り出したものだ。だけど、外国人であり、ただの旅行者である僕はそれに貢献している訳ではなく、僕がインドに来る前も来た後もインドはこんな調子だ。こんなことを考えていると、自分が生きているとか自分がなんだとかは、どうでもよくなってきてしまう。


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▲デリー駅。ここに立って、行き交う人を眺めていた。

 

要するに、自分がすこぶる小さくなってしまって、感覚の中でもどうでもよくなってきてしまうみたいな感じだ。特にデリーは、旅人がわざわざ見に行く場所も少ないので、ぼおっとメインバザール辺りを歩いていると、かなりエネルギーを吸収される。

 

 

旅人が生きている実感を得るためには、動き続けるしかない。僕はデリーに別れを告げ、寝台車に飛び乗った。最も僕の取った一番安い寝台車のチケットは、インド人が誰もおすすめしない低クラスだったが。