黄金のゴアへ続く道 Diary No.12

  ひどく短時間の睡眠の後、早朝僕は目を覚ました。僕は早起きが得意である。早朝予定がある時、前日の睡眠時間が数時間しかなくてもだいたい時間に間に合って起きることができる。中学生のとき、休みごとに青春18切符で旅をしていた。当時は門限があって、日帰りで帰らなければいけなかったので、だいたい始発で出ていた。新しい場所、行ったことのない街に自分の力で行けるのが、とても嬉しくて、前日はよく眠れなかった。もしかしたら、その時の癖が今でも残っているのかも知れないと思った。最も、今は準備でだらだらし過ぎて、電車の時間ギリギリになることが多いのだが。

 

 

この日は移動日で、インド南部のゴアに向かう予定だった。空港までバスがあればと思ったが、フライトは朝の10時だったので、リスクを避けたかった。結局ホテルの800ルピー(日本円で1200円くらい)の送迎を利用した。空港で会った日本人の旅行者によると、リキシャに交渉すれば、500ルピーくらいになったらしい。チキッた。

 

空港にはかなり余裕を持って到着した。空港に着いてみると、空港にはかなり濃い霧が立ち込めていた。これは何か起こるだろうな。

 

そう思った僕の勘が的中して、デリーから来る僕の乗る予定の飛行機が、僕の便の出発時間になっても、濃霧の生で着陸できないでいた。


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▲朝8時の空港。先が全く見えない。そういえばデリーからの電車も霧が濃くて、1時間以上遅れていた。

 

 

とり合えずチェックインはして、ゲートの前まで来る。他の便も一様に着陸できないようで、周りのインド人がざわめき始めた。みんな一斉に航空会社のスタッフにたかる。僕も隙をついて、自分の便について尋ねた。日本では、予想外のアクシデントでも比較的オーガナイズされているが、インドではアグレッシブにいかないと、取り残されてしまうのだ。自分の身は自分で守る。インドでは、その当たり前のことが何度も突きつけられた。

 

 

 そのうち、非常用か何かのスナックの入った箱が出てきた。スタッフはそれを開けるでもなく、客の前に放置する。誰かがその箱を開けた。すると、どこにいたのかわからないくらい大量のインド人がそこにたかる。彼らの執念は凄まじい。僕も遅れて、手を伸ばす。遅かった。僕の目の前のおばちゃんが最後の一つをゲットした。惜敗。でも本当に必要な人に、食べ物が行き渡るなら、その負けも悪くない。なんだか清々しい気持ちになった。

 

 

結局、飛行機は2時間遅れで出発した。途中ムンバイを経由して、2時間半くらい遅れてゴアに到着した。ムンバイでは、バカンス中に見える若い欧米の旅行者や英語を話しているインド人家族など、今までのインドではあまり見かけなかったような属性の人がたくさん乗ってきた。もしかしたら、ゴアでは本物のヒッピーに会えるかもしれない。

 

ゴアに着いてみると、思ったよりインド人の割合が高くて、空港はいつものようにごった返していた。飛行機を降りた人は、欧米人もインド人もプリペイドタクシーのカウンターに吸い込まれていく。今までのバスで節約する作戦は万事休すか。ダメもとでインフォメーションに聞いてみた。数十キロ距離があるので、どうしてもタクシーは避けたかった。スタッフのおじさんは、バスを乗り換えれば、僕のホテルまで行けると言って、窓から見えていたバスを指差した。

 

僕は、タクシーの呼び込みをかき分けて、バスに飛び乗った。やはり僕はツキがある。何より道中出会う人はいい人がとても多い。また幸運を掴んだ気がして、ゴアのビーチに向かう足取りが軽くなった。