その夢、具体的すぎやしませんか?

 いろんな人の話を聞いていて、時々夢が具体的すぎると思うことがある。今日はそれについて考えてみたい。

 

 僕が就活を終えた頃、同じ大学のとある同級生が俺は夢が見つかったと言っていた。聞くと、「経営者になること」らしい。さらに聞くと、就活中に会った人がとてもカッコよく見えて、この人だと思ったとのこと。

 

 一見とてもいいエピソードに見える(彼は彼なりの意見があると思うので、僕は何も意見しなかった。)が、僕はこの話にとても違和感があった。「どんな経営者になりたいか」が見えてこなかったからだ。目指すものが具体的すぎる。

 

 具体的な夢というのは、とてもわかりやすい。パッと名称をあげれば、誰にでもたいてい通じるし、納得もされやすい。でもだからこそ危ないと思うのだ。そう思う理由は大きく2つある。(そもそも大学生みたいな視野が極端に狭い状態で、一生の夢が見つかったということ自体も違和感がかなりある。それはかなりラッキーか無理矢理自分を納得させてるんじゃないでしょうーか。)

 

 1つはその具体的なもの自体がなくなってしまう可能性があるからだ。時代が変化すれば、淘汰されるであろう職業はたくさんあるし、これからも増える。具体的な職業のみに拘っていると、気づいたらなくなっていたということになりかねない。(例えば電話の交換手になりたいという子どもがいたら、え?ってなるはず。それが車の運転だったり、車そのものだったりする日も遠くないはず。)

 

もう1つは、自分に疑問が生じるからだ。例えば、学校の先生になりたい。昔理想の先生に会ったから。これだけだと、どうしても奥行きがなくて、どのレベルでとかどんな先生を目指すのかが見えてこない。結果、「あれなんで先生になりたいんだっけ?」となってしまう恐れがある。初期でその疑問を抱く分にはいいけど、何年もかけて、その夢を追いかけた後にそう思い始めると、長い時間をその夢にかけた分、かなり痛い。

 

というわけで僕は夢を抽象化させておくべきだと思う。いいなと思うものに出会ったら、「なぜ自分がそれにひかれたのか」、「どんなとこがいいと思ったのか」のような疑問に向き合いながら、「どんな状態が自分にとって幸せか」、「どんな人生を送りたいか」などのぼんやりとしたテーマを持つのがいい。

 

それくらい抽象的な夢なら、たくさんのことに応用可能だ。時代が変わって、職業が変化しても当てはめることができる。しかもこれは自分の姿勢の問題なので、ある程度どの環境でも実現することができる。例えば、海外が好き!という人は、自分を海外営業だけでなく、「海外に行って、知らない場所に行って見たことのないものにワクワクする」なら、開発とかテクノロジー系の仕事もありかもしれない。普段の仕事で意識して、自分にとって新しくてワクワクするポイントを探すことで、仕事を(ちょっとだけど)楽しくすることができるかもしれない。

 

というわけで、夢は抽象的に持つのがいいというお話でした。明日から、また目の前の仕事でたくさんのことを学べるように、ベストを尽くそうと思いますー。