7月19日 答えは描くもの2

 本をじっくり読んで、「大学の勉強なんて役に立たない」とか「学歴は関係ない」と散々言われてきたことを思い出した。

 

当時はうまく答えられなかったけど、今の僕には答えがある。

 

「自分なりの答えを描く大学の勉強は価値がある」

「学歴はかんけいないかもしれないけど、学習歴は大きく影響する」

 大学の勉強なんて無駄!という人は自分が無駄な勉強しかしてこなかったのではないだろうか。

 

大学の勉強の知識そのもの(経済学の歴史とか)は実社会では役に立たないかもしれない。でもそれらの学説をうけて、あなたはどう考えるか。とかあなたならどのような意見を主張するか、ということを考える場合、大学での学んで、自分なりに考えるというプロセスは大いに役立つはずだ。

 

※そもそも役立つというのは、なにかの目的の達成に有効という意味だ。この筋での役立つは、自分の幸せとはなにか?とか、どうしたら社会をよくできるか?という本当は誰しもが向き合うべき問いを考える助けになるという意味。

 

「学歴は関係ない」というのも、大学であまり勉強しない日本(主に文系の学部の一部)で18歳の成績が考える力を決定するということなので、そうでしょう。ただ、考えたり自分なりの答えを描くトレーニングをどれくらい積んだかは、大きく影響する。というわけで、学"習"歴は大きく影響を及ぼすというのが、僕の意見だ。

 

人生のほとんどの場面で、答えは用意されていない。というより問いが何かさえはっきりと見えることは少ないと思う。だから、自分で問いや課題を設定して、それに向かって自分なりの答えを出すというプロセスは大学での勉強も人生も似ている。

 

問いに決まった答えがない以上、学び続けなければならない。卒業したからとか学歴とかそんなの飛び越えて勉強し続けられる人が、素晴らしい答えを描くのだと思う。

 

会う人、旅で目にするもの、本から得た発見、全てから学び続けたい。豊かな人生とはその先にあるものなのかもしれない。

7月12日日記 答えは描くもの

学問の発見

 暑い。とにかく暑い。仕事を始めたら、ずっと冷房の聞いた部屋にいるものだと思っていたけど、そうでもなかった。僕のいる部署は「ゲリラ部隊」と呼ばれていて、足で稼ぐチームだ。(社内の他の部署は会社のブランド力で売るところが多いらしい。)車でハチのように飛び回って、足と営業の腕で売りまくる。僕の部署は、先輩の営業力で車内で生き残ってきた部署で、ハードな営業スタイルに耐えられる人が残っている。キツいなと思う反面、嫌でも成長するので、思いっきり利用しようと思う。

 

 ちなみに、暑さの話で言えば、近所のリシャルさんがアツい。

 

今年の45月は完全在宅勤務でずっと松戸の寮にいた。僕の寮の近くはいくつかのチェーンのレストランしかなく味気ない。何軒かいい雰囲気のお店もあったけど、ほとんど休業していた。(駅のそば屋も休業していた。)

 

唯一インドカレー屋だけ開いていて、週6回くらいそこで昼ごはんを取った。そこは珍しく、ちゃんとインド人のシェフが作ってくれるインドカレー。ホール担当のリシャルさんはネパール人で、初めて行ったとき、少し前にインドに行って、すごくよかったと言うと、フレンドリーに話しかけてくれるようになった。

 

でも、しばらく通い続けると、僕が今日も明日も来ることに味をしめたのか、全然エッジの効いた返しをしてくれなくなった。「ありがとうございましたー。」も全然覇気がない。(Mステに出た時の「どうも、オレンジレンジでーす。」くらい、覇気がない。)

 

1ヶ月くらいして、「暑いですね。」とありがちな挨拶をすると、奥からムンバイ出身のシェフが「超暑いね。」と笑顔で返してくれた。リシャルさんは、「私ネパール人だから、日本の夏はちょうどGoodね。」と手で、ローラみたいなGoodサインを2つだるそうに作っていた。リシャルさんと僕は、言葉が通じてないか、気持ちも通じてないか、どっちかだと思う。多分どっちも。

 

 

前置きが長くなった。最近疲れが溜まっているのか、あまり読書が進まない。平日は仕事に意識が向いているので、あまり読書をする余裕がない。新しい知識を入れるのは、大変かなと思って今まで読んだ本を読み返している。

 

「学問の発見」という本を再び手に取った。この本はフィールズ賞受賞の数学者、広中平祐さんが、学問に捧げた自分の人生を振り返りながら、「考えること、学ぶこと」について語った本だ。元々、池上彰が雑誌か何かの連載で紹介していて、大学4年の時、授業で教育学部のキャンパスに行った。その時立ち寄った生協で見つけて、嬉々として買った。

 

このブログは「考えることについて考える」というのが一つのテーマになっている気がするけど、この本でも「なぜ考えるのか、なぜ学ぶのか」について、掘り下げる。特に筆者の生業である数学の知識は直接生活に生きることはあまりない。それでも、学ぶのは生きるための知恵を得るためと述べる。この切り出し方は、初めて読んだときもなるほどと納得した。

 

次へ続く。(前置きが長くなりすぎたので汗。)

7月7日日記 違和感を作る


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 僕は違和感のあるものが好きだ。日常がある程度ルーティーン化してくると、違和感を作りたくなる。上京してから2ヶ月が経った。仕事も安定してきて、刺激が少なくなってきた。本当ならここで、いざ海外!と行きたいところだけど、コロナでそうもいかないので、空港に行って海外の空気だけでも吸うことにした。

 

羽田

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羽田は思ったよりがらがらだった。というより、僕は空港に行って飛行機を見るだけで、テンション爆上がりするので、僕がはしゃぎすぎた。

 

それでもこれほどまでかというくらいに、国際線は欠航になっていて、なんだか寂しい気持ちになった。早く活気が戻るといいなと思いつつ、海外に行くわけにもいかないので、今度の帰省は飛行機でしようと思う。


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僕は運がとても強い。と思って日々生きているけど、この日もミラクルが起きた。羽田からの帰り、京急から品川で京浜東北線に乗り換えたあと、チラッと黄色い新幹線が見えた。ドクターイエローは幸福の新幹線と呼ばれていて、見ると運気が上がるらしい。今まで新幹線に乗ったときは、ちまなこで探していた(わけではないけど)とても嬉しかった。空港ががらんとしすぎていていたせいで、一瞬下がったテンションが再び爆上がりした。


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この日の終わり、久しぶりに、嬉しいとかワクワクとかドキドキとか、自分の素直な感情に向き合えた。日々目の前のタスクとか、ノルマ、人間関係に追われていると、こういう一番大事な自分の感情を忘れそうになる。何にワクワクするのか、何を見て、して、喜ぶのか。その一瞬は人生で一番大事だと思うし、それを感じ取れるのは自分しかいない。自分の感情に素直に向き合えたこの一日は、いい日だった。

 

名もなき挑戦 2年後から見たオランダ留学戦記

僕の留学はとてもわかりにくい。有名大学に留学したわけでも、わかりやすい目標を設定して行ったわけではなかったからだ。しかも数字で表される明確な結果もなかったので、なおのこと結果がわかりにくい。留学後の大学でも、就活でも散々何をしたのか聞かれて答えられなかった。今年就職して、大学生という連続性が途切れたことで、少し俯瞰して僕の留学を捉えられるようになった気がする。というわけで、僕の留学を今のビジネスパーソンの視点から振り返ってみたい。

 

※僕は目の前のことがうまく行っていないとき、割と強い口調になったり、自分のことを強調したりする傾向があるので、ご容赦ください笑

 

前提 

英語を学びに行ったわけではありません!!

ああお金をかけて英語を学びに行ったのねと散々言われるけど、僕は英語を話せるようになるために留学したわけではない(語気強め)。僕がしたのは学部留学であって、英語を話せるようになるための語学留学ではない。英語と平たく言っても、どの場面で話すかによって必要になる語彙は全く違う。だから、目的に合わせた国と学校を選ぶことがとっても大切だと思うし、目的が見えるまでは留学には行かないほうがいいと思う。それだったら、外国に行くことを目的に旅をしてもいいと思う。(留学という響きにはものすごい引力があるので、自分なりに留学を他の言葉に言い換えてもいい。)オランダで周りにいた日本人はスラングばっかり覚えようとしていたり、Hello, how are you?レベルの会話を学びに来たりしている人が結構いた。そういう人は目的と手段がもろにずれているので、すぐ授業からいなくなった。

 

 

当時僕は国際機関で働くことに憧れがあった。でも彦根で過ごしていても、国際機関に繋がるようなアクションは取れない。ということで、いっそ国際関係とか外交が学べるような場所で学んで、自分が本当にその道を行くのか(大学院進学とか)、それとも就職とか別の選択肢を取るのか、見極めようとしていた。

 

割とやりたいこととそのための手段をはっきりさせて行ったので、僕の場合ミスマッチは少なくて、やりたいことを好きなだけやらせてもらえた。日本では学べないようなことを授業からも生活からも学んで、国際機関の会議に参加させてもらえた。たくさんのチャンスをもらえた一年だった。

 

1年間現地の大学で学んだり、日本から国際機関で働いている人と話したりする中で、国際機関で働くという自分の目標設定が不変ではないことがわかった。「必ずしも「国際機関」とか「国連」のような具体的なものにこだわらなくても、留学前まですごく嫌悪感があった「ビジネス」が、社会問題の解決に役立てられることがわかって、その道へ進もうと考えた。

 

今僕が働いている会社は「社会イノベーション 」を掲げていて、利益を追求するだけでなく、世の中全体に貢献するというモットーは僕の留学中の思いに通じている気がする。

 

 

留学から僕が得た今に繋がるものを書いてみる。

1自分の腕で切り開く姿勢

 学部留学と偉そうに言っても、留学そのものには何もない。大学の授業に行くのも、途中で切り上げて日本に帰るのも自由である。面白い授業も、面白い機会も勝手に用意されているわけではないので、自分からつかむ。

 

  

2成功体験

 英語が全く話せなかった自分が、留学生トップの成績を取り、留学末期には現地の学生とのディスカッションとかプレゼンテーションで現地人とがんがん言い合えるようになった。今までの受験であまりいい思いをした事のない僕が、努力する→結果が出る。という成功体験をしたのは、自信になった。

 

3ベストを尽くすこと。その時に、周りに集まる仲間。

留学当初、本当に英語も授業の内容も理解できなかったので、とにかく準備は念入りにしていた。時間もかかったし、その分犠牲にしたものも大きかったけど、その姿勢をみてくれていた人も少なからずいた。そういう人たちが友だちになっているから、彼ら彼女らも、一所懸命に取り組んでいる人が多い。頑張っている人たちに囲まれると、自分の頑張るレベル(これくらいやってあたり前でしょっていう水準)も自然に上がる。

 

4日本への想い。

日本を出て、初めて日本とか自分が日本人であることを意識した。僕が経験した中では日本人に対する信頼はあまりなくて、(安心はある。)日本人というだけで評価されたことはほとんどなかった。留学の途中から、日本人という自分の肩書き(ちなみに日本で自分が持っている肩書は現地ではほとんど通用しない)ではなく、自分の名前とか腕で勝負したいと思うようになった。

 

5人生は短い。

留学に行くまで元気だったおばあちゃんが留学中に死んでしまった。僕は期末テストが近かったこともあって、葬式に参加しなかった。(これは後悔している。)帰国してからも、最後に会ったときに元気に笑っていたおばあちゃんが骨になっていたことが信じられなかった。人はあっけなく死ぬ。

ビザのトラブルで1週間留学が短くなってしまったこともあって、僕は留学中終わりを意識していた。始まりは偶然でも、終わりは必然である。この2つの経験から、死とか残りが少なくなっていくことを考えるようになった。

6Follow your heart

海外ではすごく有名な本にも同じ内容が書いてある。目指して進めば、全ての運命が味方してくれる。大切なのは、自分の心が求めるものを素直に聞いて、追いかけること。Follow your heart!

 

全然イケてない大学生だった僕が、自信を手にして、やったことないことでも前向きに取り組めるのは、1年間の留学のおかげだと思う。1年間がんばり続けられた自分なら、今もっとすごいことが成し遂げられるはず。自分のベストを更新できるように、強く行きたい。

 

昔のことばっか書いてる気がして、イケてないのでそろそろ日記に戻します〜笑

23年間地方にいた、いなか者が上京した話

 僕がいた大学のようなコテコテの地方大学になると、就活の軸が東京勤務の可能性があるかどうかという人がいる。確かに数キロ先まで電車の走る音が聞こえる地方から見ると、東京の雑踏とか満員電車は恐ろしい。かく言う僕は上京願望が強くあった時期も、東京生活に幻滅していた時期も両方あった。それらを経て、今東京(東京よりの千葉県ですけど笑)に住んでいる。今僕が見る東京を書いてみようと思う。

 

前置き

そもそも新しい場所に移り住んだ直後の半年くらいはハネムーン期といっていいところしか目に入らない。そのあと、嫌なところが一気に目に入る半年間を経て、現実的に見えるようになるらしい。ということで、上京して3ヶ月の僕は、ポジティブなところばっかりみているというのが今日のお話の前置きです。(詳しくは「カルチャーショック 5段階」で検索。)

 

感想

全体的に今のところ東京生活はいい。というか、期待よりはるかによかった。目に入るものの刺激は多いし、都心にも、会社にもジムにも電車でそんなに歩かずに行けるので、アクセスがいい。東京の嫌なところはほぼ見えていないぜ、といってしまいたいところなのだが、これには大きなラッキーポイントがあって、僕は今年入社なので、入社直後から在宅勤務だった。というわけで、満員電車をほとんど経験していないわけです。

 

中途半端ないなかで育ってきた僕は、保育所から大学までオランダ時代を含めて、バスとか電車とか公共交通機関で通ったことがない。幼稚園 歩き、小学校 歩き、中学校 歩き(たまに時間ギリギリで走る)、高校 自転車(2年半折り畳み自転車)、大学 滋賀(留学前の普通の寮)自転車、大学 オランダ 自転車(まれに大雪の日はバス)、大学 滋賀(留学後)歩き(時々自転車)

 

こんな満員電車童貞の僕がいきなり乗車率170%近くの常磐線に放り込まれたら、ぐったりしてしまうだろう。そういえば、インドに行ったとき、現地の満員電車にも乗りたかったのだが、満員電車のメッカ、ムンバイ(うーん地名が2つ入るとわかりにくい。)は週末滞在になってしまい、ゴリゴリに空いていた。

 

僕は座って通ったことがない。(まあ自転車も座ってはいますが。)今のところ、ゆっくり座って通えるというのはいい。(ペダルを漕がなくていいし。)僕の場合、電車に乗っている時間が片道30分くらいで、家から駅、駅からオフィスがそれぞれ10分弱なので、ちょうどいい運動と休憩になっている。

 

家を出る前、30分の電車で何をしようか考える。最近は新聞か本を読むか、ブログを書くことが多い。今月、「電車の中も仕事してます!とかかっこいいじゃん⭐️」と思って、会社のパソコンを電車の中でポケットWiFiに繋いでばんばん仕事をしていたら、自分のWifiの既定の使用量を超えて、超過料金を請求された。なので、オンライン上の業務はもうしないと思います、はい。

 

住んでいるところからオフィスまでは少しずつ都会になっていく感じが車窓に見えて、それを眺めながら通うのもなかなかいい。

 

こんな感じで、今のところ僕の通勤環境は良好だ。ハネムーン期が終わる半年後どうなっているか見てみよう。

個人的直感力の鍛え方

 会社で働くようになってつくづく思うが、自分の本音とか直感を忘れないように生きるのは、とても難しい。特に1年目は「仕事をできるようになる」という難題が目の前に立ちはだかる。

 

先輩と比べれば、当然今は仕事ができないし、早く仕事ができるようになりたい。仕事上の成長というのは、今の僕にとってとても重要だ。一方で、自分の人生というスケールで見れば、やりたいことが仕事になるように調整をかけていくというのも、すごく大事だ。仕事が人生の少なくない時間を占める以上、仕事を気持ちのいい状態にしておきたい。それに、30代でふと振り返った時に、「俺の人生ってこんなもんだって」となるのは恐ろしい。ということで、やりたいことのかけらを感じられるように、常に自分の直感が聞こえる状態にしておきたい。仕事にフルコミットして、レベルを上げながら、自分の直感を感じるための行動を書き出してみる。

 

1社外の人に会う

2本を読む

3旅をする

4こうなりたいと思える人のYoutube、ブログをチェックする

5ブログを書く

6旅をする

7英語で話す

8過去の自分が心が動いたときのことを思い出す

9ジムに行く

10自分の直感が聞こえる状態、時間を確保する

11Follow your heart.

おまけ 大学生のうちに目一杯行動しておく。自分のやりたいと思ったことをやっておく。

 

 会社で働き始めるようになって、誰もが教科書に書いてあったかのように、「ライフはワークより大事だ。」とか「人生を楽しむために仕事はある。」と言う。でも多くの人に当てはまる言葉だけに、その言葉の重みは人によって全然違う。言葉では言えてても、生き方とか行動にあんまり反映されてないなあって人もいるわけです。それくらい意識を変えるのは難しい。

 

 僕は基本的に意識は変えられないので、形から入ることにしている。まず行動、習慣にする。と言うことで書き出してみました。自分の人生に自分で責任を持ちながら生きたいと思います。

卒論体験記No.17 終 2018-2020

 お断り

 プロセスを重視して、卒論体験記を書いてきたわけですが、あまりにプロセスにこだわりすぎて、筆が進まなくなってしまった。このまま放置しておくわけにもいかないので、先にゴールから書いてしまおうと思う。どの道、プロセスについての記事もあと1本か2本くらいだと思うので、ゴールを書いてしまってもそんなに違和感ないはず笑

 

 得たもの。2年間を振り返って。

 卒論のアイデアを思いついてから執筆し終えるまでの2年間。今までとは比べられないほど、孤独だった。おそらくこれからの人生でもそれくらい孤独な時間は訪れないと思う。

 

最後の1年間は一緒に入学した同級生が卒業して、大学を離れてしまったことで、物理的に一人になった。時々、話す人はいたものの、一人で過ごす時間は圧倒的に長かった。歴史と自然しかない彦根で一人で過ごす中で、今まで遠くへ遠くへ向かっていた自分の意識が、少しずつ内へ、自分の内側へと向かい始めた。

 

精神的にも孤独だった。1年間外国で本気で勝負すると言う経験はいい意味でも悪い意味でも、僕を外れた人間にしてしまった。自分がオランダで経験したことが全く理解されないというのを何度も経験して、どんどん僕はふさぎ込んでいったし、しまいには留学したことすら話さなくなった。最初は驚きだったものが、どんどん諦めに変わっていった。

 

そうした一人の孤独な時間が、僕に「自分にとっての幸せとは何か。自分らしい生き方とはどんなものか」という問いに向き合わせたのだと思う。このテーマと卒論について、考え始めてから、この人生で最も大事な問いから、逃げている人があまりにも多いことに気がついた。この問いに、決まった答えは用意されていない。自分の手で自分が納得する答えを描くしかないのだ。自分なりの答えを作るというのはたやすいことではない。僕も卒論を通して、その答えを作るプロセスで、何回も投げ出したくなったし、なかなか答えを出せない自分を見た人から散々批判を浴びせられてきた。

 

この卒論は経営学という枠を飛び越えて、人生に対して一つの答えを出そうとする学部生の卒論のテーマとしては、無理筋の挑戦だったと今思う。

 

 そんな孤独で苦しい時間だったからこそ、人との出会いを大切にできた。この卒論は信じられないほど素敵な人たちと僕を出会わせてくれた。自分の人生に責任をもち、世界を自分の手で切り拓く人たちをアントレプレナーと呼び、卒論という形に託して、彼らの生き方を見つめてきた。今でも最高のテーマだったと思うし、このテーマを選んだ自分を誇りに思う。

 

卒論の構想を練り始めたとき、卒論のゴールをビジネスパーソンになる自分へのエールという形で締め括りたいと考えていた。所属するハコが大学から会社に変わっても、自分の人生に責任を持っているか、常に自分の腕で世界を切り開くという意識を持ち続けているか。そういった投げかけを23歳の自分から送りたいと思っていた。卒論の本編に匹敵する字数の卒論プロセス編を書いてみて、その最初の思いを思い出した。

 

 卒論を作っていた2年の間で、答えは出なかった。しかし、どう生きるかに対する答えは早急に求めるものではない。僕の人生でじっくりと時間をかけて、その答えを作っていこうと思う。