ガンジス川への道 Diary No.9

 バラナシには、だいたい1時間遅れで到着した。朝6時台着だと、ちょっと早すぎると思っていたので、ちょうどよかった。同じ電車に乗っていた人たちについて、駅をぶらぶらしたあと、ガイドブックに目を通す。どうもガイドブックと実際の駅の名前は違っているようだ。インターネットをオンにして、場所を確かめる。バラナシの中心部であるガンジス川の河岸までは4kmほどだった。駅前でたむろしていたリキシャ軍団に話しかける。僕の顔を見て、案の定ふっかけてきた。僕はインドの配車アプリで値段の相場を掴んでいたので、その値を叩く。乗る乗らない、その押し問答を繰り返して、ほぼ僕の言い値になった。インド人にぼられないためには、強気の交渉は必須だ。

 

 リキシャが走り出したあと、ドライバーは行き先として伝えていた僕の宿がわからないと、何度も言ってきた。僕は自分のスマホを見せながら、大声で行き先を伝える。後から聞いた話だと、インドでgoogle mapはそれほど一般的ではないらしい。ドライバーは何度も歩行者に道を聞く。その度に僕は大声で「まっすぐだ。」と叫ぶ。後から考えれば、タチの悪い客だったかもしれないが、日本人である(少なくともそう思われている)以上、タフに当たらなければいけない。何度目かの停車で、僕はしびれを切らしてリキシャを降りた。宿は徒歩圏内に迫っていた。ちなみに、多少遠くても、歩いていけるかどうかというのは僕の旅の安全を確保する上での大事な指標の一つだ。

 

 歩いていくと、歩行者専用のエリアに出た。そこはデリーを凌駕する、インドを煮詰めたような場所だった。僕はそのまま歩いてガンジス川に出た。何か僕を圧倒するような光景だった。人の生活や一生の全てが、そこに詰まっているように感じた。

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ガートと呼ばれる沐浴場。ガンジス川にはありとあらゆるものが流されている。(2020.02.24 Varanasi)


北インドを旅する多くの人は、バラナシを訪れる。ニューデリー駅の外国人用の窓口で会った日本人大学院生にまた会った。彼は日本人宿に泊まっていて、その日の夕方、その宿の船で夕方のお祈り(確かプーシャという名前)を見る船に乗ると言った。日本人限定というのは、正直気が引けたが、エネルギーを吸い尽くされ、何もしなくなっている自分にも気づいていた。ほかっておけば宿の部屋に引きこもっているだろう。その場のノリで参加を決めた。

 

夕方のお祈りで、秩序と無秩序が入り混じる、インドをインドたらしめる光景を目にすることになった。