8月16日日記 顔が大事

 山手線でも田舎のサイドを行動範囲にしているわけだけど、これがまた良い。いなか者から見れば、新宿渋谷あたりがthe東京という感じになるわけだけど、このエリアはとにかく情報過多に感じる。まず文字が多い。駅を出れば、大量も大量の広告が襲い掛かる。やはり広告はそれなりに寝られているので、興味ないわと思っても、それなりに気にしてしまう。また、このエリアは音も多くて、音に関しては特にアナーキー感が半端ない。アイドルグループの新曲を広告するトラックが爆音で走っているし、渋谷のスクランブル交差点なんかパチンコ屋か?ってくらい音が散らかりまくっている。それと、比べて特に上野のあたりは静かで、落ち着いた大人のお店も多い。正直言って、上野周辺は古くて、シャープな感じはあまりしないけど、物思いにふけるにはなかなかいいエリアだと最近思うようになった。ちなみに東京で僕の一番好きなエリアは中目黒です。(東急沿線まじアツいぜ渋谷以外は笑)

 

 と、毎日上野御徒町あたりにいるわけですが、気づいたら読書をあまりしなくなっていた。少し前は部屋にあるすでに読んだ本を読み返していたけど、これも内容が頭に入ってしまって飽きていた。新しい本に出会いたいなと思って、丸の内丸善に出かけた。

 

丸善で手に取った本は2つ。1つは前にチラッと書いた村山由佳の『おいしいコーヒーのいれ方』。青春の真っ直ぐな思いが描かれた小説で、文章のタッチもライトでなかなか良い。もう一冊は岩波ジュニア新書の『自分の顔が好きですか? 「顔」の心理学』。最近自分の読書レベルが下がってきたので、本のレベルを落として、自分の肌感覚に合いそうな本だったので、読んでみることにした。

 

この本で一番気になったのは、顔とは何かということ。顔=土台+表情。で、人は顔からかなり多くの情報を読み取っているらしい。

 

結局顔なのかよ(怒)と思ったそこのあなた。しばし待たれよ!僕はこれはチャンスだと思うのだ。だって、土台はコントロールできなくても、表情を鍛えれば顔面をパワーアップすることができるのだ!

 

(もちろん土台もそれなりに大事です。去年読んだ『美貌格差: 生まれつき不平等の経済学』では、見た目がどれくらい所得に影響するかがデータを用いてはっきり記されていた。それと美しいと思う見た目、醜いと思う見た目はほとんどの人が同じ意見出ること、男性より女性の方が見た目の影響は大きく出ることなどなど。なので、「それなりに」土台は影響があるかも。)

 

僕が見た目を気にするようになったのは、就活とか色々あると思うけど、一番大きいのはヒッチハイクだ。ヒッチハイクは車が止まったら短い会話で瞬時に相手を判断しないといけない。もちろんわざわざ乗せてくれようとしたというありがたさはあるけど、それ以上に相手が危険じゃないか、信頼できそうか見抜くことが必要になる。特に海外でも中国、ドイツ、オランダ、ベルギーでヒッチハイクをしてきて、不確実要素がかなり多い割には、怖い目にあったこともなく不思議だった。

 

それと、オランダから帰ってきてから人を見抜く力がかなり上がった気がしていて、だいたいこんな人かなと思ったのを外したことがほとんどない。僕が気にしているのは、初対面の顔と話している時の顔つきだ。

 

と色々話が散らばってしまったけど、要するに2つ。1顔を見れば、その人がわかる。2顔は大事で、顔の土台は変えられなくても、表情は鍛える事ができる。

 

以上顔のお話でした〜。

8月10日日記 夏休み最終日2020

 ビジネスパーソンになっても、夏休みが存在することを知らなかった。僕はお盆よりも1週早めの休暇をもらったので、暦の関係で10連休になった。9日目友だちと話すまで、10日目が祝日だってことを知らなかった。危うくセルフ出社するところだった。

 

 夏休みと言っても、海も山も海外もせみとりも行かなかった。行けたのかもしれないけど、行く気分にならなかったので、東京で過ごすことにした。しかし、さすがは東京。遠くに行かなくても楽しめる場所はたくさんある。しかも、東京に住むようになってから、気軽に会える人が増えた。滋賀にいる間はどこにいくにも遠出でわざわざ感が凄かったから、これはとても都合がいい。まあわざわざ滋賀から来たから、わざわざ会ってくれる人もいたから、それはそれでよかったけれど。

 

 最終日の午前中は本を読んだり、最近ハマっているドラマを観たりしていた。先週丸の内丸善をぶらぶら本を見ながら歩いていると、村山由佳の小説「おいしいコーヒーのいれ方」のシリーズを見つけた。偉そうに平積みで鎮座していたので、どんなもんかと思って手に取ると、これがなかなかいい。僕は透明感のある青春の恋愛小説が大好きなのだが、まさにそんなストーリーだった。ちょうど直前に観たドラマ「ウォーターボーイズ 2」に設定がよく似ていて、ストーリーも入ってきやすかったと思う。1巻と2巻をまとめて買った。後から調べると、僕が生まれる前の94年に始まって、今年の6月に完結した26年にもなる長生きの小説だった。こういう偶然というか運命の本当の出会いは、本屋の醍醐味だ。

 

ドラマの方はと言えば、アメリカのドラマのスーツだ。僕の海外ドラマ好きの友だちのほとんどが絶賛していたので、普段ドラマをほとんど観ない僕もつられて観た。これが回を追うごとにどんどん面白い。爽快感というかスマートさ全開で、出演者全員に個性が出まくっていて、かっこいい。シーズン7まであるけど、1週間かけてシーズン2まで上陸した。ゴシップガールと違って、まだ飽きてない。

 

午後は、他の一人で過ごした日と同じように御徒町のジムに行った。トレーニングを終えてもまだ時間があったので、品川駅を見に行くことにした。僕が品川駅で見るのは大きく3つ。1改札内のお店(お洒落だから)2東海道新幹線(ホーム感があるから)3京急(ドリーム感があるから)。

 

品川駅の京急の改札を見ていると、不意に飛行機を見たくなった。羽田に行ってみることにした。

 

空港行きの快特に乗っている間に思い出した。去年の夏休みの最終日も空港にいた。

 

去年は2週間のヨーロッパ遠征から帰ってくるところで、セントレアにいた。と言えばカッコいい響きだけど、実際は帰りの飛行機の日本着の日付を間違えていて、内定式前日の夜着の便を選んでしまった。飛行機がちょっとでも遅れれば、内定式に出られなくなるという謎のリスクを犯したけど、僕はやはり運が強くて、無茶苦茶に詰め込んだ予定が全てうまく回って、無事参加できた。

 

内定式の直後、TOEICがあった。正直時差ボケで死にそうだったけど、ヨーロッパにいた2週間で20人近くの人が僕に会って話してくれたおかげで、過去最高点が出た。卒論に追われてなかなか勉強できなかったけど、何とか国際的な仕事がしたいという示しはついたと思う。

 

そんなことを考えながら羽田に着いた。品川から11分しかかからなかった。超早い。

 

日本の空港は、「飛行機を見せる」というサービス精神が高くて、どの空港にもだいたい展望デッキがある。(ヨーロッパであったのは、オランダのアイントホーフェン空港くらい)デッキに上がって飛行機を見てみた。

 

いつもの空港と違うのは、外国の航空会社の飛行機がほぼいないことと、空港の端に肩を寄せ集めて羽を休めている飛行機が何機もいたことだった。コロナがなければ、僕もきっと海外旅行をしていたと思う。僕の大学時代の思い出の多くは海外が絡んでいるので、自分の大切なものを取り上げられて、遠くに置かれてしまった感じがあった。


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JALしかおらん

 

国内線は比較的活気があったけど、僕も空港に求めていたものは単なる飛行機そのものではない気がした。やはり外国に行くというドリーム感が、僕の飛行機像だと思う。中学生までキャリーバックは海外に行く時に使うもので、国内に持っていくのは変だと思っていたくらいだ。


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ANAしかおらん

 

僕は海外にある種の違和感とか、日本にはない意外性を求めてきた。今それを完全に満たすことはできないけれど、せめて新しく来た東京で、面白いものを見てやろう。東京に飽き始めた頃にはまた海外への道が開けているはずだ。

断つことを決める

 暑中お見舞い申し上げます。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。僕はどこも行かなかった夏休みの10連休の終わりを惜しんでおります。

 

 最近同期とか同世代の友だちの話を聞く機会がしばしばあって、決断について考えさせられた。魅力的な人ほど、決断にその人らしさが現れていて、話が面白い。逆に、話にひっかりのないように感じる人は、聞いていてそれって自分で決めたのかなと思うこともある。

 

そもそも決断とは断つことを決めるプロセスだ。だから、決断するときは捨てるものを考えないけない。

 

難しい決断であればあるほど、選択肢がどちらを取っても得るものも失うものも大きくなる。失うものが大きいと、周りも反対する人が多くなるということだ。基本的に他人は無責任なので、うまく行かない可能性を限りなく下げるように勧める人がほとんど。全員がいいねと言うような選択肢なら、みんなやるだろうし、そもそも決断どころかそれは合理的な選択肢を取っているだけになる。(合理的に考えて答えが出るものなら、99%の人は同じようにするだろうし、特に決める必要もないでしょう。)最近の若者向けキャリア論のようなものには、あたかも決まったレールや、そこにみんなに当てはまる正解があるような論調が見え隠れする。でも僕ら一人一人が違う以上、その「答え」が当てはまらないことも多いんじゃないかな。

 

 合理的に根拠を探してもないような選択なら、決めてとしてそこに残るのはその人の価値観しかない。だからこそ、周りに「そんなもん無駄じゃん。」とか「それに何の意味があるの?」と言われまくりながら、全力で振り切って進んでいくような人の話は面白い。就活にもお金にも短期的には直接結びつかない内閣府の事業に参加して、その後も自分が信じた道を走り続けている人、誰も与えてくれないよう「外国で起業」という選択をして、その道を極めていく人。そこまで派手じゃなくても、自分なりにたくさんの経験をして、会社を選び取ったり、自分なりの道をいく人。スポットライトはあまり当たらないことも多いし、みんなすべったり転んだりもしているけど、頭の良くない僕が聞いて夢中になってしまうほど、その人らしさが出ていて、彼らのストーリーは面白い。

 

自分で決めることの大切さ、そのためにノイズを消して、自分の心の声に向き合うことの大切さ。これはいくら強調してもしすぎではない。他人が自分の人生に責任を取ってくれない以上、自分で人生に責任を持って、自分の腕で切り開いていくしかない。もちろん、その道は厳しいけれど、その先にあなたらしい楽しい世界が広がっていると僕は信じている。

 

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自信とは自分の可能性を信じること

 今年で24歳になった。オランダ留学以降、年下でもすごいと思える人にたくさん会ってきたせいで、24歳は若くないと思っていたのだが、世の中ではどうも若いらしい。(と思わせられる出来事があった)

 

 若いというのは色んな捉え方があると思うけど、一面的には「まだ何もない」ということだと思う。それはいい面も悪い面もある。ちょっとひねりをかけて、自信と若さについて考えてみたい。

 

 僕は全く根拠のない自信というのは、ないと思っていて、自信は必ず何らかの成功体験に紐づくはずだと思っている。だから、努力を積み重ねて、目標を達成したという体験を早いうちからしておくといい。(東大生が有利なところは、受験という比較的大きくてわかりやすい指標で、一番偏差値の高い大学に合格するという結果を出しているので、「俺やればできるんじゃね?」と考えやすいところだろう。)

 

じゃあ成功体験を重ねまくって、「俺すごいだろ。」というのが自信の持ち方かというと、そうではなくて、それは自分に対する過信だ。自信は常に未来に向けておくべきで、「自分はもっとできる、自分にはまだまだ可能性がある」と信じられる状態だ。

 

世界は広い。世界のおよそ40の国を訪れる一方で、滋賀の片田舎に軸足を置いてみて、すごく小さな世界でマウントを取って、自分を過大に捉えている人をたくさん見た。かく言う僕もそうで、留学に行く前の2回生くらいまでは、内閣府の事業に参加したとか、中途半端に英語が話せるだけで、自分はすごいと思っていた。

 

すごい人に限って謙虚だなあと思う。

 

すごい人を見れば、自分を価値のないものに感じると言う感覚も味わう。世界のトップレベルにいる人に直に会うと、実力、頭のキレ、バックグラウンド、どれを取っても、こいつにはかなわないなという怪物だらけだ。あまりの自分との違いに、自分の大切にしていたものが吹っ飛ばされたり、自分が価値のあるものと信じられなくなる。

 

視座を高く保つために、すごい人たちと会って、一流のものを見る。その上で自分を信じる。自分の未来、可能性を信じることが大事になる。その2つのマインドを同居させておくことが、自分を成長させ続ける源になると思う。

 

僕は他の人よりも1年遅らせて会社に入ったけど、24歳1年目というのはひよこみたいなものなのかもしれない。まだ何も知らないからこそ、自分に色んな味を染み込ませることができるし、たくさんのものを吸収できる。新鮮な気持ちで学び続けられるこの時間を大切にしたいと思うし、いつまでも若い気持ちで学び続けたい。

 

(普段聞いているASHRADIOを聞いて、思ったことを自分の経験を元に書きました。) 

 

 

 

7月27日日記 眠すぎる

 眠すぎる!

 イキって仕事のある日に、早朝の飛行機で移動して、1日中ぐったりしています。

 岐阜に戻る時と同じように、セントレアまで行って、羽田までの便に乗って、東京に戻ってきた。それにしても名古屋から羽田に行く便はとにかく朝早い。

 

セントレア出発が7時30分。国内線だと、30分前には手続きをしておかないといけないので、セントレア着は遅くても7時。そこから逆算して、5時半には岐阜の実家を出なければいけなかった。

 

僕はなんやかんや言って、早朝に予定を突っ込む。一人暮らしだと、自分が朝早く起きればいいだけだけど、(これも4時台とか冬の5時台とかになると、起きるのが辛いんですわ)家族と一緒だったり、ドミトリーだと、周りに相当気を遣う。

 

苦い記憶がよみがえった。

学生の時に、就活のために地下鉄赤塚の安いドミトリーに泊まったことがあって、そこは2段ベッドの8人部屋だった。僕は上の段のベッドで、下の段はアルゼンチン人のカップルが添い寝していた。朝早くスーツを着て、出なければいけなく、あいにくその部屋しか着替える場所がなかった。アルゼンチン人の子の前でぱんいちになるのも悪いなと思って、ベットの上で着替えていたら、ゴソゴソと音がしていたらしく、”Why you move so much?"と、ものすごくメンチを切って、怒られた。(着替えを全部巻き戻して、ぱんいちでお前らの方がゴソゴソ動いとったわ。と言い返してやろうかと思ったが、悪いのは僕なのでやめた。そいつは半端なくゴツかった。)

 

今回も5時前に荷物をまとめていたら、お父さんを起こしてしまった。ゴソゴソと片付けていたのは僕です。パパ、ゴメン。

 

日本で電車に乗って空港に行くというのは、案外リスクが高い。というのも、海外なら電車が遅れるのが前提なので、余裕を持って出発できるけど、日本だと前触れもなく電車が止まるし確実に安全と言い切れるまで、電車は動かない。

 

僕はそれで2回飛行機を逃しかけている。そのうちの1回は逃した。

 

1回目は留学に行くときのセントレアからの北京便。ギリギリに空港に着いたせいで、何もリカバリーできなかった。金正恩の打ったミサイルが日本の上空を通過したせいで、電車が20分くらい緊急停止した。この時は、ビザのトラブルも重なったので、万事休す。寸前で留学を取り上げられた気がして、頭が真っ白になった。

 

2回目は今年の2月インドに行ったとき。彦根から関空に行くときに、橋梁にトラックが当たったらしく、京都の手前で電車が完全に止まった。インドに行くために元々予約していた北京経由の便はキャンセルになっていたので、また行けないのかと思ってブルーになった。その後、超ノロノロだったけど、京都までは電車が動いたので、京都駅から新幹線とはるかに飛び乗って、ギリギリ空港に滑り込んだ。我ながらスーパーファインプレー。昔日本の鉄道の路線図を覚えたのが、かなり役立った。(ちなみに経路が複雑になったり、アクシデントが起こったときほど、人力の経路検索が強い)

 

今回はなんとか間に合った。それもまた運が良くて、前日まで豪雨だったせいで、ダイヤが乱れていた。それと、電車を乗り換える時、お腹が痛くなって、その後の時間のトイレの付いている電車にしようか本気で考えていた。結局もとの早い時間の電車に乗ったのは正解だった。

 

最終搭乗案内で飛行機に駆け込んだ。前日に予約した時は、空席がたくさんあったのに、乗ってみたら結構いっぱいだった。

 

今日は行きと違って、眠すぎて目を開けているのが、大変だった。離陸後に寝て起きたら、飛行機は着陸態勢に入っていた。4時間くらいしか寝れていないので、そりゃ疲れる。大学時代によく乗っていた東京行きの夜行バスの安い時の2倍から3倍の値段払ったけど、朝早すぎて4倍は疲れた。(そもそも客として想定されていない、始発でもギリギリくらいの遠方に住む僕が乗る便ではないということ。当たり前だ笑)

 

いくつか気づいたこともあった。なぜ航空会社が定時運行にこだわるのか。ビジネスマンとして利用してみてわかった。(学生時代はなるべく乗り換え時間の長い便を選んでいたので、大きなパラダイム転換だ。)


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▲飛行機のドリーム感、ハンパないって。

 

ビジネスマンにとって、10分の遅れというのは時間帯によって致命傷になる。僕もこの日到着時間から20分後にスカイプの定例ミーティングが入っていて、到着はすれすれだった。他にも出社時間とか約束の集合時間とか、ビジネスでは時間が目安なことが多い。それでも外国だと、飛行機はよく遅れる。混雑した空港でも5分も遅れない日本の航空会社はすごいと思う。

 

飛行機を降りて、ヤフーニュースを見ると、僕が羽田に到着してから40分後くらいの飛行機が滑走路でエンジントラブルを起こし、一部の滑走路が閉鎖されたというニュースが出ていた。やっぱり僕はギリギリのところでツイている。

 

この記事を書いてみて、自分がぐったりしていることがよくわかった。今日はがっつり寝ます笑

 

7月23日日記 おしゃれは我慢、飛行機



上野にて

 僕のオフィスが上野にあって、ほぼ毎日上野に行く。上野は歩けば、歩くほど魅力が見つかる街だ。美術館とか公園が上野の中心になっているので、街がとても上品だ。かと思えば、アメ横があって、下町感溢れる飲み屋街も広がっている。飲み屋街をちょっと遠くから垣間見るような場所に、お洒落な小さなお店が散らばっている。人も多くなくて、落ちついているので、僕の肌にすごく合う。僕は上京当初、(ほんまは上千葉ですけど笑)「オラ上野駅から北に帰るだ。」とか言ってばかにしていたのに、数ヶ月で上野の魅力に張っ倒されてしまった。

 


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▲ほらキレイでしょ。上野公園。Galaxy A70で撮影。

 

 

と、上野の魅力は尽きないけど、東京で会おうとなって、上野まで来てくれる人はあんまりいない。僕も、日々上野を歩き回っているので、土日は上野を素通りして、中目黒とか恵比寿あたりに遠征している。(いや僕も東京かぶれの田舎モンですなあ笑)平日の夜はそんなに時間がないので、品川駅に時々行く。(品川駅はなぜか親近感がある。品川はペンギンしかいないけど、品川駅は頑張って日々東京ブってる僕を、そんながんばらんでもいいんやでって感じで包み込んでくれる。時々岐阜の物産展をやっているのもまた良い笑)

 

今回は初めて、友だちが上野に来てくれた。今まで散々東急沿線でアウェーゲームをしてきたので、来てくれたのが嬉しかった。

 

この日の上野は、雨だった。雲の上にいる誰かが、僕の真上でバケツをひっくり返した。諸事情あって、祝日にスーツを来ていた僕はびしょびしょになりながら、喫茶店にいった。

 

彼は大学時代からの友達で、同郷ってこともあって、お互いとにかくたくさん話す。知り合ったのは、大学2回生の時だけど、在学中よりも卒業した今の方がたくさん話している気がする。ふとしたタイミングで連絡をくれたので、自然な流れで会うことになった。あんまりゆかりがない東京で、そういう声をかけてくれる人がいるのは素直に嬉しい。

 

彼は上手くやっているみたいだった。僕は最近上手くいっていないことがいくつかあったので、視点を自分から動かして、そういう話が聞けたのはよかった。お酒なしで、サシで、お互いの話を、いいねとかそれはこうだとかいいながら話せる友だちは、僕はあんまり多くない。でも、そういう時間が僕は一番楽しい。

 

気づいたら4時間くらい経っていた。長編映画に匹敵するドキュメンタリーだった。

 

祝日のスーツ

 この日は、飛行機で岐阜に帰る予定だった。それが僕がスーツを来ていた理由です。はあ?ってなると思うので、ちゃんと解説すると、月曜日の朝の便で東京に戻ってきて、そのまま出社するかもしれなかったので、一応着といてシワがつかないようにスーツを持って帰る。これが真面目な理由。裏の理由の方がたくさんありますよ、そこのあなた。1ビジネスマンたるもの、スーツで飛行機に乗るものだと思うから。2今の部署だと、海外出張は絶対ないので、気分だけでも味わいたかったから。3筋肉がついてきたから、スーツを来て自慢したいから。(ちなみにトムクルーズが来そうなスーツです笑)

 

これ以上書くとばか丸出しで、飛行機にこれから乗せてもらえなくなりそうなので、このへんで。そんなこんなでスーツを着用していたわけです笑

 

飛行機は今まで乗りすぎて、普通じゃつまらないので、非常口座席を取った。非常口でも冷静だぜって余裕を漂わせていたつもりだけど、ジャケットのボタンを締めていたせいで、超暑かった。(お洒落は我慢に尽きますね笑)

 

電車にせよ、飛行機にせよ、マッサージチェアにせよ、座って状態で揺すられると、僕は条件反射的に眠くなる。離陸まで目をつむるのを我慢して、上昇してすぐ寝た。富士山をみそびれた。

 

飛行機で行くと、名古屋は本当に近い。すぐ着いた。セントレアに着いて、その静けさに驚いた。国際線が完全に閉まっていて、いつも聞いていた音もほとんどしなかった。僕は昔から、名古屋から海外に行くことが多くて、留学とか卒論のリサーチトリップとかたくさんの海外の思い出がある。セントレアもその大きな一部だった。


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▲からっぽになったセントレアの国際線のエプロン


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▲こういうことはもう起きてほしくないなと思った。

 

 

それがすっぽり抜け落ちてしまったように見えて、悲しかった。いつかまた馴染みの空港から、海外に行ける日が来たら、その時の喜びはひとしおだと思う。

 

今回わざわざ飛行機で帰省したのは、僕が飛行機が好きだという理由以外に、今までたくさんお世話になった航空会社を使うことで、ちょっとでも応援したいという思いがあった。飛行機の中で、普段よりもだいぶたくさんの制限の中で感染の恐れと向き合いながら、接客しているCAさんの姿を目にして、胸を締め付けられる思いがした。

 

航空会社で働くみなさんも、医療従事者の僕らと同じように、もっとリスペクトされていいと思う。日々リスクとか恐怖と向き合いながら、難しい状況で、社会を支えている。そのことが、飛行機に乗ってみてよくわかった。日はまた必ず昇る。苦しい思いした分だけ、絶対に報われる。その日が早く来てほしいと思いながら、空港を後にした。

 

 

がんばり続けることのすごさ

 「結果が全てというが、がんばり続ける姿勢そのものが大切なんじゃない?」、そういうことをこの記事で主張してみたい。

 

あなたには何ができるのか?

「頑張っても結果が出なかったら意味がない。」ということをよく言われるが、本当にそうだろうか。

 

ひっくり返して考えてみる。「頑張ったら、絶対結果が出るのか。」これはかなり条件が揃った場面でしか成り立たないと思う。

まず、不確実性が極めて低いこと。想定外のことがほぼ起こらない、自分のやった分が無駄になることなく、確実に積み上がる。そういう状況出ない限り、そんなことは無理だ。

 

そういう環境に身を置いている人は、それでもいいと思う。努力したら成功が約束されている世界に生きている人はその発想で生きればいい。

 

不確実な世界で生きる場合、レールが引かれていない道を行く場合、話はそうはいかない。それが挑戦で自分の実力を越えるほど、頑張ったって報われないことは多くなる。不確実性が多くなると、結果も出にくい。

 

端から見ると、できないことに挑戦して上手くいかない姿はカッコよくない。派手さもなければ、スポットライトも当たらないから。でも、僕はできないかもしれないことに向き合って、がんばり続ける姿こそ美しいと思う。(というかそもそも頑張るとはそういうことじゃないのか)

 

僕の周りにはそんな人が多い。日本から海外に飛び出して、挑戦する人、今までとは違う分野に切り込む人、その挑戦の先にレールがなくても、歩みを止めないその姿は美しい。

 

僕も常々そうありたいと思います。結果だけで判断されることが多いからこそ、頑張り続けたというプロセスを大切にしたいと思う。自分にも周りの人にも。

 

ふと思ったことから、ずるずる引き出して来てみたので、またまとまりのない文章になりました。後日推敲しますー