言葉にすること 

 言葉にすることは、真剣にやると結構難しい。自分の心の底に眠っているものを、奥

の方から掘り起こすような感覚だ。自分の肌感に会う言葉に出会うまで、時間もかか

る。なるべく思ったことを言葉に起している。そう思うようになったのは、オランダに

いた時からだ。

 

 

 言葉にすることの大切さに気づいたのは、2人の友人の存在が大きい。一人目は、大

学2回生から付き合いのあったアメリカ人の友人との再会。彼は、ミシガンから親戚が

フランスに引っ越すのを手伝いにヨーロッパにやって来た。で、そのついでにタリスに

乗ってオランダまで来た。アメリカ人のついでのスケールはすごい。一緒にご飯を食べ

ている時、彼がふと、ヨーロッパに来る前、3年間書きためたノートを見返してきたと

言った。どういうことか聞くと、どうも日記に近いもので、その日思ったこととか考え

たことを書き出すものらしい。(正確には、日記ではない。)その習慣を初めて以来、

自分の感情がコントロールできるようになって、自分の理解も深まったらしい。よさそ

うだったので、僕も始めてみた。オランダ時代は、周りから受け取り情報がほぼ英語

で、僕も英語で処理していたので、英語で書いていた。(僕は英語を話す時と日本語を

話す時で性格がちょっと違う)

自分のモヤモヤした感情を形にして出したこと、自分の感情と向き合う時間を取ったこ

と、人に感情を伝える前に自分で整理する時間を取ったこと。ノートに書き出すことで

で、自分についての理解がすごく深まった。目の前のことが落ち着いて見られるように

なったし、自分がどう変化しているか。ノートに書き続けて、自分のこととして感じる

だけでなく、自分を遠くからも見つめられている気がする。この感覚はすごく僕を楽に

している。

 

 

 もう一人はオランダ人の友人。彼女は1年間の留学の前期のクラスメートだった。ク

ラスで話す機会があって、それ以降仲良くなったけど、ふとしたことで大きなケンカに

なった。

 

オランダでは、大抵のトラブルは話し合いで解決する。(話し合いの精神。無

視とか嫌がらせとかよりも話し合うらしい。)その後最初に2人で話し合ったとき、僕

は大きなショックを受けた。話し合いで、お互いの納得できるものを探すというより、

その子が僕をすごく責めてきたように感じた。(授業のディスカッションも含めて、オ

ランダの話し合いは、自分の権利をいかに守るかというところに重点がある。やさしい

話し合いを期待していると、自分の権利をはがされまくる。)謝ってくると思ったの

に、いきなり自分の正当性を主張してきたので、すごくショックだった。

 

その後共通の友だちが、文化の違いが大きいことや育ってきた文化が違うんだから、と

にかく話すのが大事とか、色々なことを教えてくれて、帰国直前にすれ違いはなくなっ

た。結局3ヶ月くらい話しあっていた気がするけど、オランダで一番勉強になった出来

事の一つだった。

 

多様性のある環境では、自分が事前に知っていることなんか何もないと考えつつ、自分

の考えとか思いを言葉にして、相手に伝えるプロセスがとても重要だとわかった、大き

な経験だった。その当時の気持ちは最悪だったけど、今思い返してみれば、この経験を

21歳でできたのは、すごくよかった。

 

 

人は言葉で語れる以上のことを知っている。僕らは普段暗黙知で生きているので、言葉

で表現しようとすると、結構時間がかかる。それでも言葉にすることには大きな意味が

ある。それでも言葉に起こそう。「言葉にできるは武器になる」!