信念 自分の想いを育てること

 9月に訪れたベオグラードでは、およそ20年前の紛争の爪痕が街に残っていた。

 

 ベオグラードの中心部に一つの崩れかかったビルがある。元々がなんの建物だったかは忘れたが、セルビアが他の旧ユーゴスラビアの国に侵攻した際、NATOから空爆を受けたビルだ。特に取り壊すでもなく、かといって遺産として展示するでもなく、野ざらしにされていた。ベオグラードに住む日本人の方に聞いたところ、元々は取り壊される予定だった。でも、このビルのある場所を取得する予定だったホテルチェーンの計画が頓挫してしまい、とり壊せなくなってしまったそうだ。

 

 僕がこの建物を目にした時、壊れかかった建物の無残さに目がいった。それと同じくらい目を奪われたのが、ビルの壁全面に打ち出された広告だった。初日はこの建物が何か、広告が何を意味しているのか全くわからず、夜行バスを降りて、ぼんやりした意識の中で眺めていただけだった。しかし、最終日にこれがNATO空爆を受けたビルだったということを知った。2日目に知り合ったモンテネグロ人の子に、この広告の意味を尋ねた。

(※セルビアモンテネグロは2006年まで同じ国だった。さらに言語もほぼ同一なので、モンテネグロ人とセルビア人は、ほぼ支障なくコミュニケーションを取ることができる。)

 これはどうもセルビア軍のリクルートメントの広告らしい。この広告がNATO空爆を受けたビルに張り出されていることに、大きなメッセージ性を感じた。

 僕は、ユーゴスラビア紛争に関して、まだ理解が浅い点が多いが、当時のセルビアの指導者は、ジェノサイドを進め、犯罪を犯した独裁者として、法廷で裁かれた。

 

 理解の浅い僕が、ユーゴスラビアの歴史について、深い議論をすることは難しい。でも気になるのは、彼らの行動や決断が何かの文脈で、誰かにとっては正しいことだったのではないかということだ。虐殺は悪い。ただ、それらを指揮した彼らが単に凶悪だったということではなく、何かを信じていたり、自分の何かの信念に基づいて、行動したのではないかとも思う。

 

 もし、彼らがたんの凶暴であったのではなく、自身の信念に基づいて行動していたらのなら、その後を生きる僕は、この歴史から、自分の信じるものについて考えなければいけないと感じた。自分の信じること、無意識に信じ込まされていることについて、常に検討しなければいけないのかもしれない。純粋にそれに従って、行動した結果、悲劇を生むこともあるのだから。

 

セルビアのこのビルは、その正義とか信念のぶつかり合いを物語っていると感じた。セルビア側の一部の認識と、西側諸国の認識は異なっていて、何を正しいものとするのか、そのイデオロギーが衝突しているように思える。

 

もしかしたら、全員にとって客観的に正しいものなんてかなり少ないのかもしれない。だからこそ、僕たちは歴史や色々な考え、情報を学んで、自分の想いとか信念を育てて行くべきだ。ベオグラードで見た景色から、そう思わされた。

 

 

 

 

f:id:banri_ozawa:20191230144002j:plain

軍のリクルート広告とNATOの攻撃を受けたビル。(2019.9.24 Belgrade)