現地語で見る景色 ローカルな世界を求めて② 言葉が消えた時間 イタリア・ミラノ

 2018年の5月に僕はバックパッカーの旅に出た。およそ2週間で3ヶ国を回る旅だ。大学1年生の時、深夜特急を読んだ。インドのデリーから、ロンドンまで路線バスを乗り継いで旅をする話で、旅人のバイブルと呼ばれた本だ。深夜特急を読んで、そこに描かれている数ある国の中で、僕は南フランスの景色が見たくなった。そこには何もないらしい。けれど、フランス人が数週間もそこにいて、特に何をするでもなく、バカンスをしている。そこに何があるのか。自分の目で確かめたくなった。それと、昔アナザースカイで見た長谷川博己バルセロナの回が、ものすごくよかった。イタリアのミラノからバスを乗り継いで、フランスのカンヌ、スペインのバルセロナまでいくことにした。

 

 当時住んでいたオランダのマーストリヒトの最寄りの空港の一つ、シャルルロワ空港から早朝の便で、ミラノのベルガモ空港に着いた。バスでミラノ市街に出た。空港へのアクセスバスは、ミラノの中央駅で乗客を降ろして、再び空港に戻っていった。

 

 着いたのはいいものの、早朝に駅で降ろされると、何をしていいのかわからない。僕は全くミラノについて調べてきていなかったので、とりあえず予約していた宿に向かって歩き始めた。知らない国や街へ行った初日は、街の地理を把握したいので、できる限り歩いて移動することにしている。この日のミラノは初夏のひんやりとした空気が流れていた。ミラノはとてもカラッとしている。1時間くらいのんびり歩いて宿に着いた。だけど、そこは別の宿だった。来た道を引き返して、予約した宿を目指した。

 

 ミラノではとにかく英語が通じなかった。僕はイタリア語が全くわからないので、この国で地元の人と話すことはほとんどなかった。あとで知ったけど、イタリア人は国籍は気にしないけれど、イタリア語を話すかどうかで、そのコミュニティーに入れるかどうかが決まってしまうらしい。

 ミラノの景色はとても乾いて見えた。外国で言葉が通じないとなるとものすごく孤独が押し寄せる。下から体を締め上げるような孤独の波がくる。旅人はすぐに去っていく人なので、だから役割を持たず、その国の一員になることはない。人にとって果たすべき役割がないということは、なかなかに辛いものだと、ミラノでの時間で、身を以て知った。目立って思い出もできず、2日間を過ごした。

 

 深夜バスに乗って、フランスのニースを目指した。ニースはまた違った景色が待っているはずだ。